あいでんのつぶやき

みんなに分かりやすく伝えたいと思いつつ、自分の思いを吐露しがちな悩める大学生 主に、料理、読書日記、専門(物理周辺)、その他という感じで記事を書きます。

【TED】A simple way to break a bad habit を聞いて

要点

悪習慣を断ち切るには、それをしようとしている自分に興味を持つこと、好奇心を持つこと。

そうすることで、一瞬立ち止まって時間を作り、欲と向き合うことができる。

なぜ自分は、2個目、3個目のお菓子を食べようとしているのだろうか?やめられないのだろうか?と考えてみる。

他のことで補えないだろうか?やるべきことは他にあるのではないか?などなど、自分に問うことはできるだろう。

今、ここでお菓子を食べなくてもいいのではないか?ここでこれをする必要はないなぁ。と思えたらベストだが、そこまでいかなくても良いだろう。

もし、悪習慣をやめたいと思っているならば、一瞬立ち止まってその欲から離れることができた時、快感を覚えるはずだ。その快感が悪習慣から解き放ってくれる。

悪習慣を断ち切るのは大変なことだが、それはトリガー→行動→報酬(快感)というループにはまっているからだ。それを好奇心で置き換えて

自分に好奇心を向けるというトリガー→悪習慣をやめる→やめることができたという快感を得る

というループにすれば良い。

 

感想

こんなことでいいのかと思うほど単純な方法だが、効果はありそうだ。時間を無駄にしたくないという人が、無駄にダラダラしてしまう人はこれから始めてみるといいかもしれない。

ダラダラしようとしたら、自分は今何をするべきなのだろう、これをやったら将来こんなすごいことができるようになっているだろうな、と考えれば自然と意欲が湧き上がってやる気が出てくるはずだ。

【読書日記】「かがみの孤城」

 読書マラソン用の感想(仮)

通常の感想

  1. 最初に行動を起こす勇気
  2. 周りの笑いが自分を笑っているように感じる
  3. 暗黙のルール
  4. 友達を思うということ

読書マラソン用】

鏡の向こう側に別の世界が広がっている。
そんなことは決して無いけれど、そんな世界があったらいいのに、と思ってしまう自分がいる。
しかし、僕は考える。
本の中の人物が鏡の向こうの世界へ行ってしまうように
僕もまた、この本を読んでいる間だけは、まるで本の中に吸い込まれ、本の中の世界で過ごしているのかもしれないと。
願いを叶えた後、鏡の中で出会った人物との記憶がなくなってしまうように
僕もまた、この本の内容は時とともに忘れてしまうかもしれない。
それでも、鏡の世界で出会った仲間が現実の世界で繋がっていたように
僕もまた、読後のこの気持ちといずれ邂逅する時が来ることを切に願う。

 

 

【通常の感想】

さて、本の大まかな内容は以下の通りです。

いじめや親の放任などの問題を抱えて学校に馴染めない子がいるということは詳しいことはともかく、その事実くらいは皆さんご承知のはずです。そんな子が主人公の物語です。

学校に行けず、家の中で過ごしていたら、鏡が光っていることに気づきます。それに触れたら、あろうことか鏡の向こう側の世界へ繋がったではありませんか!どうやら、そこに自分も含め、7人ほど集められたようです。みんな学校へ通えない子たちのようです。その世界で彼らは”願いの鍵”を探すことになります。それを見つけたら願いが一つ叶うらしいのです。そうして学校に通えていない7人の奇妙だが素敵な交流が始まります。

彼ら彼女らにはどんな過去があり、それにどう向き合って生きていくのでしょうか。

 

 

何を書いたらいいのか分からないくらい書きたいことがあるのですが、それではまとまらないので、印象に残った文章や共感した部分をいくつか取り上げたいと思います。

その前に、一言だけ書くと、構成の仕方がとびきりうまい方だなと素人ながら感じました。最後にバラバラだった一つひとつの事柄が線で結ばれ繋がっていく様子は圧巻でした!何度か読むともっと楽しく読める本だと思います。

 

 

     1.  最初に行動を起こす勇気

 

「一度行ってしまえば、何を気負っていたのだろうと思うほど、他の子たちに会うのにも抵抗がなくなっていった」

この文は僕がこの本の中で印象に残った一文なのですが、この気持ちにすごい共感しました。まさしくその通りなんだよなぁ、と。

僕は学校には通っていたものの、友達の少ない生徒でした。友達のできない理由が上の引用文に詰まっていて、自分から何も行動を起こさなかったので、そりゃあ友達できないでしょ、と言われて当然なのです。僕の場合は、

 

一度声をかけてしまえば

何を気負っていたのだろうと思うほど

他の子たちと話すのにも抵抗がなくなっていった。

 

というわけです。

中学校、高校生活ができないという意味ではもう遅いのですが、せめてこれからの人生ではこういうことがないように少し勇気を持って声をかけてみようと思っているところです。

 

 

 

     2.  周りの笑いが自分を笑っているように感じる

 

学校で、それ以外の場所でも、誰かとすれ違う時にその人たちが声をあげて笑いながら会話をしていると、自分が笑われたような気がするという場面があります。

よくわかります。一方で、そんなわけないとも思いつつ、それでも頭をよぎってしまうこの感覚。

今でこそなくなってきましたが、学校にいた時は、僕もそう感じてしまうことがありました。周りからどう思われているのだろう、と気にしすぎているとこう思えてくるのだと思います。周りに敏感であることは悪いことではないのですが、その方向性が少し変わると

 

周りに敏感であることが武器になる

 

と今では思っています。僕の場合は、武器になるように修行中、といったところでしょうか。

 

 

 

     3.  暗黙のルール

 

これも周りの様子を伺っている自分が勝手に作り上げているのかもしれません。こういう流れができているから、この話はしてはいけないのかな、と思っていると誰かがその話を投げかける。

本書でも

「あれっ、その話触れちゃいけないんじゃなかったの?!」

と主人公が混乱している場面があります。でもそれって、自分が勝手に作り上げた空想のルールでしかないんだな、と気づかされました。この暗黙のルール、今まで意識的に考えたことはありませんでしたが、知らず知らずのうちに僕自身束縛されていたのかもしれません。これに気づくことができただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。もちろん、楽しむということも忘れずに。

きっと、本当に暗黙の了解で決まっていることもあります。だからこそ難しくて、

 

暗黙のルールと

自分が勝手に作り上げた存在しないはずのルール

この違いを見つけながら成長していく

 

と、大人になれるのでしょうか。

 

 

 

     4.  友達を思うということ

 

4つめは、学校に通えない主人公を助けたいと思っている人物の存在について考えたことです。

友達を思うといっても、今回は、友達が苦しんでいるときに、どうやったら助けてあげられるのかというところに焦点を当てているつもりです。

僕は、ここにものすごい後悔があるのです。中学校の時は、なんでも自分優先で考えていました。当時はそんなつもりはありませんでしたが、今思えば周りのことなんて全然考えてなかったんだなと思わずにはいられません。

一言で言えば、偽善者でした。

多少勉強はできたつもりでいましたが、実際そんなのはどうでもよくて、友達が困っているときに助けてあげられることの方がずっと大切なことだと、今は思っています。

 

例えばいじめられている人を助けようとすると自分までもいじめられるのではないか、という不安があるのは当然で、それで助けることができないこともあるでしょう。そこで、それでも助けるという人がいたらそれは勇気のある人だと思います。誰でもできることではありません。そんなことできないという当時の僕のような人は、助けるというとどんなイメージが浮かぶでしょうか。

きっと助ける方法が思うように見つからないのではないでしょうか?先生に相談しようかどうかまず考えますね。でもそれだけでもないのかもしれません。

助ける方法はきっと、一つだけではありません。本当に助けたいと思ったらいくつも方法があると思うのです。特に、現代ではコンピュータが発達しています。友達を助ける方法を調べれば、いろんな情報が出てきます。相談センターの連絡先だってわかります。もしくは、信ぴょう性は定かでない場合もあるでしょうが、体験談だって載っているかもしれません。

調べようと思えるだけで、友達を助ける一歩を踏み出しています。そこで得た情報を見極めて、正しいと思う情報に従って行動することも選択肢の一つかなと思います。ただし、ネットの情報が正しいかどうかは十分気をつけなければいけないということは頭に入れておきべきでしょう。友達を助けたいけどどうしていいかわからないという人を狙って、そういう人が惹きつけられそうな情報を書いておき騙して何かする、と企んでいる人もいるかもしれませんので。

学校の先生に相談したいけど、信頼できる人がいないという状況もないわけではありません。いじめやそういうものをなくしたいと思って先生になる人もいると思うのです。真剣に考えてくれる思いますが、その対処の仕方がまずいこともあるかもしれません。ニュースなんかをみると、どうも学校は隠蔽体質があるようですし、大騒ぎにしたくないということに主眼をおいていることもあるようです。本来大切にすべきはいじめられている人が苦しみから解放されることのはずなのに。

 

調べればいいのはわかったけど、調べようと思うにはどうしたらいいのでしょうか?

そう思う人も多いと思います。

これは本質的な話になると思うんですが、僕は知識を頭に入れることが大事だと思っています。こういう時にどうしたら良いのか、という状況で考えられるのは自分の知識の範囲内でしか考えられません。

階層的な構造で表すと、

  1. まず、知識を入れておくこと
  2. 知識がなかったら調べて知識を増やす、という知識があること

これが大事なわけです。自然に思いつく人もいるかもしれませんが、その人はそれが自然のうちに身についたからそうできるということだと思います。それが身についていない人にとってみれば、自分とは違うそういう発想の持ち主なんだなと思うかもしれませんが、知識の積み重ねが行動に繋がっていくと僕は信じています。行動を起こすには知識だけではなくて別の事柄も必要かもしれませんが、知識も必要だということが言いたかったことです。

 

 

 

今日はこのへんで。この本に出会えてよかったです。こういう本との出会いが僕の人生を豊かにしてくれているなぁと思います。

【美術館巡り】東京番外編 ユニクロ希望塾

東京へ行った際、美術館の他にも、ファーストリテイリング希望塾というものに参加してきました。

ファーストリテイリングの偉い方の話を聞く良い機会となりました。

メモを取っている人たちがたくさんいる中、僕はメモも取らず聞いていただけでした。最初のうちはメモを取ったほうがいいのかなぁ、と思っていましたが、その必要もありませんでした。

それは単純に柳井さんの伝えたいことがたったひとつだったからです。

そうでなかったら恥ずかしいのですが、、、

ズバリ、

どう生きたいかもっと真剣に考えろ

ということです。

ただ考えるだけではなく、本を読んだり、身につけたほうがいいと思ったものは身に付けるよう努力したり、実際に何か行動を起こしてみたり、大学生のうちにやって置かなければいけないことは本当はたくさんあるのにそれができていないというようなことを言っていました。

このことを象徴的に

大学はバカ製造機だ!」

と表現していました。確かに、その通りでしょう。一部の、生きることを真剣に考え行動に移している人間を除けば、大半はのらりくらりと過ごして、気づいたら就活しなきゃいけない時期になってた、みたいな感じだと思います。僕も考えているつもりで、本当につもりだったなぁと思いました。僕の場合は生きることに対して目を逸らしていたとも感じます。多分、面倒だから。最悪ですね。

そんな自分が情けないです。

そう思ったイベントでした。

 

 

 

 

今の僕に何ができるか、整理も兼ねてここで一度考えておきたいと思います。

 

まずは、どう生きたいかを考えます。次にそのために大学にいるうちにできることは何かを考えます。とりあえず、これだけでも十分かなと。あとはこれらに全力で取り組むだけしかないでしょう。

 

では、どう生きるか。

これは刺激のある人生を送りたい。でしょうか?欲を言えば「金銭的な余裕を持った上で」という条件を付け加えたいです。これは大事なことです。ゴッホの人生は刺激的すぎますが、金銭的な余裕があればもっと豊かになったかもしれないと思うのです。逆に大成しなかったかもしれないという人もいるかもしれませんが、、、

 

では、刺激のある生き方をするためにはどうしたら良いか。

これは、新しいことに挑戦していくことだと思います。ここで僕が思うのは、新しいと言っても0から1を作るのは天才的な能力がいるということです。僕にはそんな能力のかけらもありませんので、別ルートが必要です。凡人でも頑張ればできることは、点と点を線で繋ぐことです。点を作り出すことはできないけど、点と点を線で結ぶことなら、可能性はあると思います。そういえば、この話もしていましたね。

ただ、そのためには他の誰も持っていない知識の組み合わせが必要です。これは勉強して身につけていくより他はありません、しかも、どんな点を繋げるかということも考えなければいけません。この点が難しいところで、その選択に失敗するかもしれないし、失敗してもうだめだと思っているところに成功がやってくるかもしれないのです。ただし、やるからには徹底的にやらなければそこへは到達できません。

要するに、今見える範囲で先を見据えながら、必要な能力を身につけていくという必要があると分かりました。これは地道に、愚直にコツコツと泥臭くやっていくしかありません。それが面倒だと思ったら終わりです。人生はそういうもんだと思います。なんでもない生活もそれはそれで良いかもしれませんが、今の僕はそうではないということです。妥協して考えが変わることもあると思います。したくないですが、、、

具体的には、物理の世界で生きていきたいと思っているので、物理の勉強をしていくことになります。そのほかにも物理の研究に活かせるような知識はなんでも取り入れるようにしたいですね。こちらはあくまで物理をよく勉強した上での話ですが、それでも必要だと思います。

 

最後に、どう生きるかを一言で表すとしたら、「点と点を結ぶ線を作る人生を送りたい」でしょうね。言語化することで見えてくることってありますよね。今回はそれが少しできたかなと思いました。

【読書日記】 信頼の構造 こころと社会の進化ゲーム 

本書について大まかな説明

この本がどういう本かを最初に述べておこう。

内容は誤解を恐れずに書くと、「信頼」と「安心」は違う、と述べている。詳しい感想はのちに述べる。書き口が学術的な体裁で、ある意味読みやすく、別の意味では読みにくかった。

例えば、どんなことが書いてあるかというと、

•相手を信頼する傾向が強い人は、単なるお人好しではなく、その人が信頼できるかどうかの情報に敏感だ。

•逆に、人を見たら泥棒と思えという信頼する傾向が弱い人は、案外相手が信頼できるかどうかの情報に鈍感である。

 •相手が信頼できるような人ではないが、従わなければ痛い目をみる。自分と相手が互いにこういう状況にあるときは、自分から相手を裏切ることはしないし、相手から裏切られることもない。これは信頼とは異なる。

など、この他にも色々興味深い話はあったのだが、ここでは全てを紹介できそうにない。(僕の能力的に)

 

 

感想

色々書きたいことはあるのだが、感想がまとまらないので焦点を絞って、

集団の中で閉じこもっていると得られたはずの

    情報(関係•人脈•利益)が手に入らず勿体無い

という話をしたいと思う。

信頼についての本なのだが、僕としてはこの部分が印象に残った。

さてもう一度書くと、

 

内集団に留まっていると、外に目を向ければ得られた

はずの情報や機会を捨てることになってしまう

 

これは非常にもったいないが、だからといってすぐ変えられるかといわれると難しい。

集団内にとどまっていれば大きな失敗がないという

                 安心感が得られる

からだ。そのままでも困らない状況にいると考えても良いだろう。

そして、

いざ集団の外に出ると、リスクを追う危険性が存在する

ので、おいそれとできることでもないのだ。

 

例を挙げてみよう。

「本のテーマを広げつつ、人間関係も広げる」

という例で見てみよう。

 

本にも色々ある。小説が好きでフィクションは全然読まないという人がいるとしよう。もちろん小説には面白いもの、感動するもの、その数や枚挙にいとまがない。小説だけでも読みきれないほどだろう。

 

しかし、事実は小説よりも奇なりという言葉があるように、嘘のような本当の話もこの世界には溢れており、本という形でそれを知る機会を僕らは持っている。それを読む気になれば、さらに世界は広がる。あぁ、小説も面白いけど、フィクションもいいなぁと、思うようになったとしよう。

 

まだまだ本の世界は広い。小説には、いろんな状況が出てくる。時には事実を基にした作品もあるだろう。それじゃあ、その事実に関する本を読んでみようかなと思って読んで見たらどうだろうか?

例えば、美術がテーマになっている小説だったら、実際に美術に関する本を読んでみようかな、とか。そうすると、同じ本を読んだ時に新しい発見があるかもしれない。作家さんだって、相当調べた上でいろんな話題を書いているはずだ。その時の作家さんの気持ちに少しだけ近づけるかもしれないと思うと、「よし、読んでみよう!」という気になるのは僕だけではないはずだ。

これで、美術好きな人と出会ったときに話が広がるかもしれない。

別の例でいえば、スポーツの小説で、そのスポーツのルールがわからなかったらそのスポーツの本を1冊読んで見たら小説での選手の動きがもっとよく理解できるかもしれない。駅伝とか、野球とか、アメフトとか、カーリングとか、どんなスポーツも一般の人が思ってるよりもずっと奥が深いものだ。僕も野球をやっていたので多少は奥が深いというところを知っているが、プロになればもっともっと研ぎ澄まされた世界で勝負しているのだ。駅伝だって、ただ走っているだけではないだろう。どんな風に練習して、本番までにどう調整して、それで実際のレースでどういう展開になって、と知っているからこそ楽しめる部分がたくさんあると僕は思う。

そポーツに関する話題なら、多くの人とできるだろう。好きなスポーツで盛り上がれば、人間関係を気づく一助にもなろう。

 

もう少し世界を広げたいな、と思ったとしよう。

ニュースでよく政治のくだらない話が出てくるけど、国会議員はなにやってるの?ふざけてるの?でも、実際のところどうやって政治が行われているのか分からないや、と思ったら政治に関する本を読んでみるとかどうだろう?

そうすれば、国会議員の悪い点が(もちろ良い点も)具体的に指摘できるようになるだろうし、改善点は何かについて自分の意見を持っていればそれはもう立派な国民だろう。

少し真面目な話になったとき、自分の意見がはっきりと主張できる人はどれくらいいるだろう?そこでバシッと言えれば、一目置かれるのではないだろうか?自分の意見を説得力をもって主張するためには、多くの知識が必要だ。そういう場できちんと話したことによって築ける人脈もあるかもしれない。

 

最近体の調子が良くないと思ったらお医者さんに行ったほうが良いが、少し視点を変えれば、生活習慣についての本を読んでみるきっかけになる(もちろんお医者さんには行ってください)。これが運動するきっかけになるかもしれない。

生活習慣を正したからといって、新たな付き合いが生まれるわけではないだろうが、集団の外側というプレッシャーのかかる場面で、生活習慣の良さに救われることだってあろう。

 

 

今までの流れをまとめると、最初は小説しか読んでいなかった人間がフィクションを興味の対象に広げ、さらに政治、生活習慣にも守備範囲を広げたという感じだ。もちろん、そんな急にはできないだろうし、この辺のテーマもその人の興味に応じて変わるものだ。

ただ一つのポイントは、

ちょっと気になったことをスルーしない

ということだ。今回の例で言えば、小説を読んでいて、僕はこのスポーツのルールがよく分からないとか、この歴史の人物ってどんな時代に生きてたのかとか。

当然、仕事や勉強で忙しいから気になったこと全てに構ってはいられない。その中でいくつかを拾うだけで良いだろう。

 

 

小説だけにしか目を向けていないと、恐ろしいほどその他の本は目に入ってこない笑。

これは今回の本でいう集団内にとどまっていることに対応する。

小説以外に目を向けて、フィクション、政治経済、生活に関する本、その他、などなどいろんなテーマに目を向けると、小説だけでは手に入らない幅広い情報が手に入る。

これが集団の外に目を向けるという部分に対応する。

 

僕が最近体験したことを話すと、写真集なんて、これまで全く見向きもしなかったのだが、図書館にあったものを手にとったら(これは勉強の休憩がてらにと思っただけ)これがとびきり素敵な写真集だった。写真家が自分の生活を懸けて撮ったものは格別だった。これをきっかけに時々は写真集にも目を向けてみようと思っている。

写真集には全く興味がなかったが、それは写真集というものの存在を知らないからで、その中身を知ったら、それは僕にとって価値あるものになった。少なくとも、こういうものが世の中にはあるんだというきっかけになった。これは僕の(将来に渡って)得られる情報が増えたと考えて良いと思う。

ちなみにそれは、北海道に生息している愛らしいキツネたちの写真集だった。

 

話を戻そう。

今回の例では、集団の外に出ることでリスクが伴うということはあまりなかった。無理やり対応させるなら、自分のレベルに合わない本を購入してしまい、結局読まずにお金の無駄遣いになってしまったとかその程度かもしれない。

また、集団の外に目を向けることも比較的容易にできる。

そんな例しか思いつかなかったのだが、それでもこれを実践しようと思ったら、それなりに苦労するはずだ。なにを読んだらいいか分からないし、そんなぽんぽん本のためにお金が出せるわけでもない。

 

これが単に本のテーマを広げるという話ではなく、生活している中で属している集団の外側に手を伸ばそうと思ったらどうだろうか?まず、損をするリスクは大きくなる(自分のミスもそうだが、相手に騙されて損をすることもあるのだ)。集団の中にいる安心感が強くなる。しかし、得られる情報は増え、場合によっては利益も増える。どちらが良いだろうか?

 

ここで、人がどう動くかを、信頼という言葉から紐解くのが本書である。

興味を持った方は一度読んで見てはどうだろうか?

 

【美術館巡り】東京編 クインテットⅣ 五つ星の作家たち

クインテットⅣ 五つ星の作家たち

今日で東京編は最後です。ただ、美術館巡りでなく、番外編が一つあるので、それはまた記事を別に書く予定です。

 

この美術展は、現代の日本の美術家の作品が展示されていました。ポスターを見て綺麗だな、と思って興味が湧いてきたのと、ちょうど帰るまで時間があったので寄ってみることにしました。

面白いなと思う作品があって、円盤の鏡から模様を切り取って鏡本来の用途としては使い物にならないんですけど、美術作品としてそういうものを作るというのは面白いと思いました。いろんなバリエーションがあったらそれこそ楽しめるなと個人的には思いました。

あとは、炭を使って川を描いていた作品がありました。やっぱり癒されますね、川は。包み込んでくれるような雄大さがいいなぁと思います。何を使って描くかは手法ごとに良さ悪さがあるんでしょうが、日本人からなのか、墨を使った作品は、落ち着く感じがします。美術館にあって、その空間が作り出す雰囲気というものも当然あるでしょう。そういうものをこれからも楽しんでいきたいです。

別の作品で、何を表現しているのかわからない作品がありました。絵の具が無造作に塗られているような感じの作品だったのですが、これでは説明が分かりにくいですね。

なんて言ったらいいんだろう。適当にではないと思うんですけど、適当に絵の具をぶちまけたみたいな感じなんです。こういう作品には何が込められているのか。何を描いてこうなったのか。美術家さんの感性ってやっぱり独特なんですねー。失礼を承知で言うと、僕が見たら、美術界は迷走しているのだろうか、と思ってしまいます。

 

 

ここに絵を載せるわけにもいかなかったので、読んでもさっぱりかもしれません。すみません。

西洋絵画もいいですが、技術的にも、環境的にも今だからこそできることがあるはずでそこが現代美術を見に行く価値があるのかなと個人的には思います。もちろん、そんなことを考えないで、パッと見てこれいいなぁ、とかなんか惹かれるなぁという楽しみ方も当然します。

 

とりあえず、美術館巡り東京編はこれで終わりです。

 

 

文章か書くことって、語彙の少ない文章ですらこんなに大変なんですね。しかも、読者に伝わるような書き方ができていない気がする・・・