本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

4/1

今日から4月だ!

 

特に変わることもないが。。。

 

 

と考えてはもったいない。

 

 

こういう節目は新しことを始めるチャンスだ。目標を定め、それに向けて気持ちを入れるチャンスだ。

 

 

高校生の頃、校長先生がおっしゃっていた教訓の一つだ。校長先生の話は二つだけ覚えていて、一つが上記した通り。それと一緒に、竹は節があるからこそ、しなやかに曲がるが折れないともおっしゃっていた。節目節目を大切に、そこで気持ちを入れ直して、時には嵐に吹かれようとも、折れずに耐え、自分の能力、成果も竹のように高く伸ばしていきたい。

 

二つ目は、知識をたくさん蓄えようということだ。これは土台がなければ新しいものは創造できないよ、ということだ。

教育の流れとして、詰め込み教育の反省から、ゆとり教育を始め、現在は学力低下が騒がれ脱ゆとりへ、という流れになっていると思っている。

校長先生が言いたかったのは、ゆとりというのは知識が入れないということではない。土台があるからこそ新しいものを生み出せるのだということだ。そこを勘違いして、空っぽの頭で新しいものを〜、世界で戦う〜というのは筋違いだということだ。

 

今思うと、多くのことは忘れてしまったが、本当に印象に残ったものだけ覚えているなぁ、という感じだ。

 

さて、今日の午前中、また映画を見てしまった。「けいおん」を見た。彼女たちは生き生きとしていて、高校生活を終えてしまった私からすると、もう戻れないのか、と堪らなく悲しい想いがしてしまう。こういう時、なんていう言葉を使うのだろう。調べたら、「寂寥感」という言葉が見つかった。また、「胸の中ががらんどうになってしまう」という表現も、ポツンとして心にぽっかり穴が空いたような気持ちが表現できて良さそうだ。もう二度と味わえない時間、これを言葉で表現するのは難しいなぁ、と思うのです。

 

だからこそ、今を精一杯生きるのだ。後悔しないように。

 

そんな気持ちになりながら、映画を見終えたら、英語の勉強を少し、そしてPythonの勉強を少し。なかなか時間を食ってしまうものだ。コツコツと取り組んで力をつけて行くしかない。最初の頃、定着させるまでがまず苦しいが踏ん張りどころなのだろう。

 

午後は夜遅くに更新予定。

夜に急な来客があり遅れた。

午後は、場の理論の勉強を少しした。計算が合わず無駄に時間がすぎてしまった。ただ、考えることはあって、勉強していけばわかることもあると思うが、パラ統計ってなんだ?ということだ。この固有値を求める計算が合わないのだが、答えは載っている。それをみると、固有値は0,1,2の3つらしい。ボーズ演算子固有値は0以上の整数、フェルミ演算子固有値は0,1の2つ。これらは大学でも勉強したので場の理論ではこういう風に計算するのか、と思った。パラ統計は固有値が3つだから、同じ状態を2つまでなら取れるということになる。この固有値天下り的に求めれば簡単なのだろうが、そうでないと大変な計算だなと感じる。そもそも、演算子の交換関係を用いて計算を進めるのだが、その交換関係が一体どこから出てきたのか。そこをもっと勉強したいと思う。

そんなこんなで、計算に戸惑っているうちにバイトの時間になり、終わって家に戻り、来客を迎え、就寝となってしまった。

 

春休み、結局勉強が進まなかったのはまずい。その時間はもう取り戻せない。勉強したくてしょうがない気持ちになるくらいでないといけないだろうし、勉強したいという思いはあるのだが、なぜかそれができず苦しい。なんでだろう。。。