本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

同性の本、異性の本、どちらの方が多いのか?

ふと気になった。

男性の書いた小説と、女性の書いた小説と、私はどちらの方をよく読むのだろうかと。

そう思った後に、この基準に何か意味はあるのか微妙だとも思ったが、ちょっと考えてみるか。まあ、あまり意味はないかなと思っているが、考えることで見えてくるものもあるんじゃないかなー、あったらいいなーと期待してみる。

まず、好きな(好きな度合いには個人差があると思うが)作家の名前でパッと思いつくのが、敬称略ですが

原田マハ

彩瀬まる

住野よる

三浦しをん

森見登美彦

今邑彩

あたりかなー。

女性の方が気持ち多めか?、いや半々くらいかなーという感じだな。

 

当然といえば当然なのだが、女性の作家は女性目線で、男性作家は男性目線で書くことが多いと思う。

確かに、性別の違いで共感の程度も変わる部分もあるが、逆に考えれば異性の作品特有の新たな発見があるとも捉えられる。

ただ、性別にとらわれず、一人の人として作品に入り込めるかどうかの方が大事な気がする。男性であっても、女性の主人公になりきって作品を読んでいる気にもなれる。同性であっても、性格や境遇があまりにもかけ離れていると、なかなか入り込めず横から眺めている気分になってしまう時もある。

そもそも、著者名が男性か女性か分かりにくいと、著者の性別が思っていたものと逆だったなんてこともある。結構昔の話だが、三浦しをんさんの『舟を編む』を読んだときは三浦しをんさんが男性か女性か知らずに読んでいた。お恥ずかしい話ではあるのだが...

男性の作品か女性の作品かで、一番違いが出そうなジャンルは言わずもがな恋愛小説であろう。数年前まではあまり読まなかったが、最近は恋愛小説もいくらか読むようになった。

最近読んだ作品だと、彩瀬まるさんの『くちなし』という作品は、女性が主人公で女性独特の心理がよく表れているのかなー、と思っている。これを男性が書くには、女性が書くのに費やすエネルギーの何倍も必要だろうと思うし、書くのであれば『くちなし』の男性目線バージョンの方が良い作品ができそうな気もする。

ただ、ここで私が思っている女性の心理というものが、そもそも想像の産物でしかないのであるが、それをいうと話が一歩も進まなくなってしまう。ここは、私のできる限りの想像、妄想で補ってやる!として話を進めよう。

 

と思ったが、話のネタが思いつかなかった。想像力がここまで乏しいとは悔しい...

 

最後に、話は逸れるが、ほんの少しだけであるが、短い小説を書くことにした。と言っても単なる自己満足の範疇でだが。またいずれ話す機会があればこのことに触れられたらと思う。話す機会がないかもしれないけどね。