後悔
「後悔」と題して、自分の気持ちを整理したいと思います。
結論から言うと、
野球をやっていたことに後悔しています
ただ、今の僕に活かされている面もあるので、野球をやらなければ良かったということでもありません。
それでは、なぜ後悔なんてしているのか?
その原因は、僕の中では明瞭であって、
「野球に割く時間が多すぎた」
ことです。
多くの野球少年の例にもれずプロ野球選手にあこがれていたので、一生懸命練習していたのですが、大してうまくならず、その割にあきらめがつきませんでした。
大してうまくないと気づいたときに、
ならば、野球を楽しめばいい
という風に頭を切り替えることができなかったのが、今になって悔やまれます。
特に高校野球は大変でした。自主練も含め、練習時間はかなり長いですし、週末の試合は平日よりも朝早いという状況で、いつ勉強したらいいの??って感じでした。(やっぱり勉強に割く時間は無くなりますよね......)その割にもっぱら2試合目に出るような選手でした。そこもあきらめをつける一つのチャンスだったのですが、そこでもレギュラーになりたくて、練習を頑張っていました。
まぁ、やっている身になるとそうするしかないと思うんですけど、いざ野球から離れてみると、なんでそんなに必死にやっていたのだろうという思いが現在進行形で日に日に強くなっています。
高校生のうちにもっと本読んでいれば、読書好きな人と交流をひろげられたのになぁ、とか
勉強をもっとしていれば、今もっと高い次元で苦労できただろうになぁ、
とか、思ってしまいます。
思い切って言えば、
野球という一つの趣味に走りすぎた
といってもよいかもしれません。
整理のために、野球をやっていて良かったことも書いておくと、
まずは、野球を始めたことで、マラソンが好きになったことが挙げられますね。
これは、小学校時代練習でたくさん走った(走らされた...)ということがきっかけです。ただ、走っていること自体は苦しいですが、そのメニュー自体は嫌ではなくて、タイムなり、順位なり、前回よりもいい形で走ろうという気持ちで今思うととても楽しかったです。それが今も活かされて市民マラソンに出るような人間になっています。
次に、全力で体を動かすという経験ができたことも良かったこと、というか良き思い出みたいな感じですね。おそらく二度とグラウンドを真剣に走り回ったり、ボールに向かって飛び込んだり、手がボロボロになるまでバットを振り続けることはないです。そう思うと、若い時に思いっきり体を動かしていたことは良いことでもあったと思えます。
そして、野球をしていたことで(特に高校野球)仲間ができたのは、嬉しいことでした。高校野球のメンバーは本当にみんないい人ばかりで、これ以上ないというほど恵まれていたと思っています!
良い点もたくさん出てきましたが(ここまで読んでくださった方は、「なんだ、良いことあるし、後悔する必要ないだろう」と思うことでしょう)、こうやって書くと僕の高望みみたいになってしまいますね。
それでも、野球に費やしてきた時間は、野球を生業としない一般人が費やすには、あまりに膨大で、少しだけでいいから別の経験を積む時間を捻出していたら良かったという気持ちが収まらないのです。
最後に、
こうやって文章にすることで自分の気持ちに踏ん切りをつけるのが僕のやり方です。
どうあがいても過去は変えられないので、この後悔はここできりをつけて、残された時間を精一杯生きていこうと思います。