本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

8/13 『砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない』 桜庭一樹 著

今日は、読書感想。

 

目次

 ネタバレなし(あらすじは最低限)

勝手にあらすじ紹介

13歳の少女なぎさは、「意味のあるもの」以外には関わらないという自分のルールを決めていた。「意味のあるもの」とは、お金になるかならないかだ。なぎさの家は貧しく、それに悩まされることが辛かった。

 

そんなある日、なぎさが通う中学校に、海野藻屑(うみのもくず)という転校生がやってくる。藻屑は親から虐待を受けていた。いろんな噂が生まれ、クラスメイトの間で、その親の間でそれらが飛び交う。そんな中、なぜかなぎさは藻屑と一緒に過ごす時間が増えていった。しかし、なぎさはその時間を、決して「意味のあるもの」とは思っていなかった。最初のうちは。

 

なぎさは、自身を周囲の人間よりも貧しく不幸だと思い込んでいた。しかし、藻屑という、自身より不幸な境遇にいる人間の登場によりそうでないことを思い知らされる。そして、それをどう受け止めるか葛藤する。

 

物語は、なぎさと藻屑のぎこちないやりとりを中心に進んでいく。

 

 

悲劇的な結末が控えていることを藻屑は知らないのであった。。。

 

感想

最近は、日常の一コマを描いたような小説を好んで読んでいた。そっと背中を押してくれるような感じが好きなのだ。

 

しかし、今回はそれとは真逆で、人生で滅多に起きないであろう劇的な出来事が起こる作品だった。読むきっかけは、そこに本があったからだ(笑)。大学の相談室のような所にたまたまこの本が置いてあり、前から気になっていたので読んでみようと思い、手に取ってみた。内容は全く知らなかったので、まさかこんな内容だとは思わなかった。いきなり、劇的なニュースが飛び込んできて、その後に一体何が書いてあるのかと、恐る恐るページをめくった記憶がある。

 

なんというのか、この作品は児童虐待という重いテーマではあるのだが、それを読者に訴えかけているような感じではなかった気がする。

伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』は読者にこれでもかと主題を訴えかけているような気がしたのだが、それとは違う雰囲気だった。作者も違うし、当然ではあるのだが、この違いを感じるのも読書の楽しみの一つなのかもしれない。

 

楽しみ方と書いたものの、この作品を読むのはなかなか苦しかった。悲劇的な結末を知りながら読み進めることがこんな苦しいとは、、、

 

苦しかったけれども、最近の生活に活気があるわけではなかったので、感情を揺さぶる良い刺激ではあった。

たまたま出会った本ではあったが、いつもと違う世界に触れることができた。良い出会いであった。

 

 

ここから先はネタバレありです。

興味を持った方はぜひ読んでみてください。

 

 

 

 

ネタバレあり

 この物語、始まりと終わりでいろんな人物の心境や実際の行動が変化している。

特に顕著なのは、なぎさの兄である。3年間ずっと引きこもりだったところを藻屑の死をきっかけに脱引きこもりとなった。それどころか、自衛隊に所属し、訓練に励むという変わりようだ。

フィクションであるから、書き手の思いに沿って描くことができるのは分かっているが、変わろうと思っている人間が読んだら、この兄の描写に感化されることはあるだろう。

確か、ピンク色の霧が兄から離れていくような気がした、というような表現が、引きこもりからの脱却を表していた。わざわざそういう表現をしたということは、それだけ強調したかったことだと思う。兄は、引きこもりでなくなった。この瞬間に変わったんだと。

 

藻屑が転校してきてから、一年も経っていない。物語としては、結構短いと思うが、その中でもなぎさはたくさんの出来事を経験しているように思う。それに伴って、考え方も行動も変わっている。初めは、生活に困らないくらいお金を稼ぐことに固執していて、それに関係のないことには興味を示さないようにしようというルールまで決めていた。お金になるものを「実弾」と彼女は呼んでいる。

それは、心の底では純粋に興味はあっても、お金にはならないから情報をシャットダウンするということだと思う。確かに、お金に関心を持つことは非常に大事だと思う。生きていく上で、欠かせないものだし、美味しいものを食べたかったら、好きな洋服を買いたかったら、遠くへ出かけたいならば、お金はたくさんあったほうがいい。そのためにどうしたらよいのか?その手法を知っておくのは悪いことではない。

しかし、お金に関係のない情報をシャットダウンするのは、人生を損すると思う。お金は必要なのだが、死ぬ前に後悔することは多分、お金に関することではない気がする。もちろん、死んだことはないから分からないが、人生を楽しくするのは、自分の好きなことができるということだと思う。いろんなことに興味を持つのは、思いがけないところで、人生を豊かにしてくれるかもしれないと思っている。

 

さてさて、話を戻すと、「実弾」にしか興味がなかったなぎさだが、藻屑と渋々行動をともにすることに。初めは「実弾」でないという理由から、嫌々付き合っているのだという気持ちが見て取れたが、終盤ではそのような気持ちはなくなっていると思う。むしろ、実弾でないが、大事なものを見つけたんだと思う。

藻屑の父親との言い争いがそれを顕著に表している。「実弾」という観点からすれば、それは負の影響すらあるものだ。しかし、それに負けじと食いかかる場面は、最初の頃のなぎさとは明らかに違う。

そして、藻屑に逃げようと提案しているのも、「実弾」はそこにない。苦しんでいる友達を助けたいという気持ちから出てきたものだろう。これは直接の「実弾」ではない。しかし、ピンチで実弾を仲間から分けてもらえる、もしくは、性能のいい武器が手に入るということもある意味では実弾と同じかそれ以上に価値のあることだと思う。

 

もう一つ感じたのは、嘘をつく人間は本当は困っている人間なのだということだ。以前、彩瀬まるの本でも似たようなことがあった。嘘をついている人間は、態度でこそ見せないが、実は困っていてるのだと。このことは、物語を読んでいる分には、分かるのだが、現実世界に落とし込もうとすると、厄介だなと思う。嘘をついている人間がみんな困っているかと言われると、分からないし、別に嘘をついていない人間が困っていないかといったらそんなことはない。

私が、よく嘘をつく相手と接していると考えてみる。その人と親しくするかといったら多分しない。嘘をつかれて、嫌な気分になりたくないからだ。割と自然な考えかなと思うがどうだろう?

相手のことを思って、嘘をついているのはきっと何か困っているのだろう、助けてあげられるだろうか、と冷静に考えることができるか?

今の私にはハードルが高すぎる。

ここで言えるのは、この本が、嘘をついている人間を見かけたら何か困っているのかもしれない、と思うきっかけにはなるということくらいだ。情けないかもしれないが、、、

 

全然まとまらなかったが、力尽きたのでここで筆をおきます。読みにくい文章ですみませんでした。読みやすい文章をかけるよう精進します。