行動を起こす言い訳をくれる一冊『嫌われる勇気』(イントロ〜第二夜)
気になっていたものの今だ手をつけていなかった一冊『嫌われる勇気』をようやく読みました。なぜこのタイミングかというと、200万部突破記念で限定特装版が売っていたからですね。金ピカの表紙です笑
私、ミーハーですね。
ミーハーはさすがに死語ですかね。。。でも使います。
基本的な情報
2013年に第1刷が発行され、現在まで2019年11月20日時点で51刷されている。
累計発行部数200万部を突破しているロングセラーヒット作。6年も売れ続けていたらロングセラーといってよいだろう。
フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラーの築いた心理学を対話形式でわかりやすく解説してくれている。
この本は生きる上で悩みを抱えている方にこそ読んでほしい。
ちなみに私はフロイトもユングも名前くらいしか知らないので、そういう方も安心して読めるだろう。
要約
イントロ
世界はシンプルである。
人は変われる。
誰もが幸福になれる。
もし今世界が複雑に見えているのだとしたら、あなたが世界を複雑なものとしている(思い込んでいる)に過ぎない。世界そのものが複雑なのではない。
一つ世界がポンと置かれているとして、人々はそれを様々な角度から、かつ自分専用のフィルターをかけて見ている。人々はそれを世界というが、それは”自分で世界に意味づけを施した主観的な世界”なのである。
世界が変わるのではなく、自分がどう変わるか。サングラスを外せるか。
第一夜
- アドラー心理学では、過去の原因が今の行動を作り出すと考える「原因論」ではなく、今の行動を取る目的を達成するための手段として過去の出来事を利用していると考える「目的論」を取る。変わりたいなら原因論ではなく目的論をとれ。目的論ではトラウマも明確に否定される。
- 人は、過去の経験そのものではなく、過去の経験に与える意味によって自らの行動を決定する。
- 過去に何があったかではなく、その出来事をどう解釈するか。
- 自分を変えることの第一歩は知ることにある。
- 何が与えられたかに注目しがち、与えられたものをどう使うかに着目せよ。
- 今の自分が不幸なのは自らの手で不幸であることを望んだから。
アドラー心理学では、その人の性格や気質、もっと広く世界観や人生観のことを「ライフスタイル」という。
- ライフスタイルは変えられるもの。変われないでいるのは自ら変わらないという決心を下しているから。
- 変わりたいけど変われないのは、変わらない方が楽だから。
- ライフスタイルを変える時、勇気が必要。環境や能力ではなくて。
- もし〇〇だったらと可能性の中に生きているうちは変われない。
さっさと行動してできるかできないか知れということだろう。そこでできなかったという事実を突きつけられることが苦しいのだと思う。それを避けるためにウジウジして行動しないというわけだ。
まあ、自分に当てはめてみてもそうかもしれない。新しいことをやろうとすると、初めのうちは少し楽しいけど、少し進んでいくと一筋縄ではいかないことがわかってくる。そこでその困難な壁に向き合うか、ちゃんとやればできるかもしれないけど、、、と諦めるか。後者を選んでいるうちは変われないということだ。少しずつ変わっているつもりだけど、これを読んで前者をとればいいんだと分かったのは自分にとって大きい。
- これまでの人生は今からの人生をどう生きるかになんの影響もない。それを決めるのは「今、ここのあなた」だ。
極端な話、昨日まで野球一筋だった人が明日から物理学の研究者になることにします、と決めて行動するのもあり、ということだ。そうしようと思う人がいないだけで自分でそう決めて行動に移していいんだよ、と諭してくれている。
上記は極端な例だが、現実にはこうなりない、こうしたいけど行動ができない、、、今まで〇〇したことないし、、、という人がたくさんいることだろう。
そういう人に向けて、いやいや行動していいんだよと促してくれるアドラーさん、優しいですね。
第二夜
- 自身の短所ばかりに目がいってしまうのは自分を好きにならないでおこうと自分が思っているから。目的論風にいうと、自分を好きにならないという目的のために、短所を見つけている。可能性の中に生きているという観点では、自分にこの短所がなければもっと素晴らしい自分になれるという可能性に生きているということになる。
この可能性の中に生きていては前に進めないので、勇気を持って前に進めというのがアドラーの教えだ。言いたいことの雰囲気はよく分かる。自分はまさに可能性の中に生きていたと思う。。。手遅れになる前にこの本を読んで良かったわ。
- そして短所ばかりに目がいき自分を好きになれないのは、対人関係において人から嫌われ、その結果自分が傷つくことを恐れているから。
目的論でいえば、人から嫌われて自分が傷つかないことが目的にあり、それを達成するために自分の短所を見つけておき保険をかけておく、必要以上に落ち込まないように前もって準備しておく、ということになる。
ここはまさに自分のことそのままだった。なんなら僕は対人関係すら避けているのでもう少し深いところまで症状が進んでしまっているが。
- 悩みを消し去るには宇宙の中にただ一人で生きること
これについてはそんなのできないのだから悩みを消し去ることはできないという意味で使っている。
- 人は社会の中での「個人」のみを感じることができるだけで、真に個人というものはない。もしそうなら個人という概念すらなくなってしまう。
まだ整理できてないけど、自分のことを考えるとき、広い枠の中の一つの存在として自分を考えるって大事な視点かもしれないと思った。僕は今までこの視点を持っていなかった。
- 人の悩みは全て対人関係に収束する。
人の悩みはお金と人間関係とは良く言うが、アドラー心理学では対人関係の悩みが全てという大きな柱で構成されているようだ。
- 劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」である。
例えば、身長について、身長が低いことそれ自体が劣っているわけではない。劣っていると思い込むことで劣等感が生まれてしまう。同じく足が遅いこともそれ自体は劣っているわけではない。そもそも人間のスピード自体たかが知れてるわけで、その中で速い遅いと争ったって仕方のないことだと思えば、別に悪いことでもないように思える。もちろん、速くありたいという人を批判しているわけではなくて解釈の一例を挙げたに過ぎない。私はどちらかといえば足が速くなりたいと思っている側の人間なので。ただ遅いことに劣等感を持たなくてもいいよね、というだけの話だ。
- 主観の良いところは自分の手で選択可能であるということ。客観的な事実は変えようがない。
だから自分の変えられるところを変えましょうよ、という話だよね。変えられないものは変えられないのだから、そこで立ち止まっている場合じゃないでしょう、と。
- A(という劣等感がある)だからBできない、というのが劣等コンプレックス
これは因果律ではなくて、見かけの因果律。高学歴ほど社会的に成功しやすいという現実にどう立ち向かうかという問題になる。学歴が低いから成功できないのではなくて、成功したくないと考えているから成功できない。→ライフスタイルを変えればいいのに。
- 自慢をする人は劣等感を感じている。
経歴詐称や権力を持った人と懇意であることをアピールすることなど。過去の自慢話なんかもそう。
- 不幸自慢。不幸であることによって特別であろうとする。腫れ物扱いが気にかけてもらっているように思えてしまう。
- どこまでも続く平らな地面を自分の前を歩く人もいれば後ろを歩く人もいる。誰と競争するでもなく前を歩いて進めば良い。他者との比較でなく、理想の自分との比較をすること。今の自分より前に進むことに価値がある。
- 他者と違いはあれど対等ではある。人との違いを善悪や優劣で語ってはいけない。
自分に合う道を探して進め、という考えに繋がりそう。
- お前の顔のことを気にしているのはお前だけだよ。
これは本当にその通りなんだろうけど、一方でそう言われてもなぁという人はたくさんいるだろう。実際、幸せかどうかは別にしてイケメンの方がモテるしブサイクな人より良い思いをすることは多いだろう。ただ問題はその状況において自分がどこに幸せを見出すかということであろう。顔も大事かもしれないが、その人の特徴は顔だけじゃないし、性格、運動能力、頭の回転、話の仕方、趣味、などなど色々あるわけで。
- 人々を私の仲間と思うか敵と思うかで世界の見え方は違ってくる。
- 罵倒されたらその人が隠している目的を探る。権力争いを挑んできてると考える。勝つことによって自らの力を証明したいと思っているはずだ。
- 権力争いを挑まれても絶対に乗ってはいけない。
- 謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りることは負けではない。
アドラー心理学の目標
行動面
- 自立すること
- 社会と調和して暮らせること
心理面
- 私には能力がある、という意識
- 人々は私の仲間である、という意識
これらの目標を達成するための方法
「人生のタスク」というものに向き合う。
人生のタスクとは「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つ。
人生のタスクは社会的な存在として生きていくときに避けられない対人関係のことで、その関係性のレベルが3つに分かれている。
「仕事のタスク」
仕事をする上で人との関わりは避けられないが、共通の目標があるので、少しくらい気が合わなくても協力できたりする。プライベートでは特に関わりを持たない。浅くて遠い関係。ニートは仕事そのものでなく、仕事上での対人関係が原因でニートになる。
「交友のタスク」
仕事を離れて、仕事での付き合いという強制力が働かない関係。仕事のタスクよりも深くて近い関係。難しい。
「愛のタスク」
3つの中で最も難しい。恋愛関係や家族関係(特に親子関係)。人はこの人と一緒にいるととても自由に振る舞えると思えたとき愛を実感することができる。束縛してはいけない。
- 友達関係のときは気にならなかったことが、恋人関係になると気になりだしてしまうあの現象。。。
アドラー的には、その関係を終わらせるための準備としてその材料を探し回っていると考える。相手が変わったわけではなくて、自分の目的が変わっただけ。自分の目的一つで、相手がよく見えたり悪く見えたりするもの。
アドラー心理学では、様々な口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを「人生の嘘」という。
- 人生の嘘にすがってしまうのはただただ勇気がないから。善悪や道徳などは関係ない。
途中だけどまとめと個人的な解釈を少し
要約を書こうと思ったら要約にならなかった。。。目から鱗な主張が多くて書き出してたら膨大な量になってしまった。続きはもっとポイントを絞ってまとめようかな。
僕なりにこの本の解釈をしてみたら、行動を起こす言い訳をくれる本だという結論にたどり着いた。「きっかけ」ではなく「言い訳」というネガティブな言葉を使った理由は、ある種盲目的に行動を起こす側面もあるのかなと思ったからである。この本を読まなくても行動でいる人はおそらくいてそういう人たちには必要ない本だと思う、というか別の本なり考え方をうまく落とし込んでここに書いてあることができているのかもしれない。
この本は今まで行動を起こしたくても起こせなかった人に向けて、行動を起こして良いよ、そのための言い訳を用意しておいてあげるからというメッセージを送っているような優しい雰囲気がした。
もしかしたら間違っているかもしれないが、アドラー心理学で一歩踏み出す勇気を持てと言ってるから(中身をどれだけ理解しているかはともかく)僕は行動することにしたと考えて行動をする人もいるだろう。アドラー心理学では過去の行動は今の行動に何も関係ないのだから、今自分のライフスタイルを変えて〇〇することに決めたという人もいるだろう。それを”勇気”と呼ぶのかもしれないが、”言い訳”と捉えてもそこまで違和感ないな、と感じたところで一旦筆を置きます。