本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

日本の抱えている問題ってみんなどれくらい関心あるの?

今日はtwitterで見かけた一言が気になったので少し考えてみることにしました。

タイトルにもあるように日本が抱えている問題にみんなはどれくらい関心があるのかということです。はっきり言うと、程度の差こそあれほとんどの人は本気で考えていない気がします。(客観的に見ると僕もその一人な気がしていますが・・・)そして本気で考えている人はその問題に直面して苦労している人などが多くを占めているのではないでしょうか?詳しく知っているわけではないですが、そんな気がします。このような状況は当然と言われればそうかもしれませんね。

あくまで例えばの話ですが、大学の授業料に関する問題などはやはり大学生とその家族、親戚、大学関係者に身近な話ですから、このことに関わりのない人がよく知らないといっても不思議ではありません。むしろ今の社会ではそれは当然だと思います。

別の問題として、保育園の待機児童の問題を取り上げてみると、こちらは今年の日本流行語大賞でも取り上げられ、それ以前にもニュースでたくさん流れていたので関心がある人も多いかもしれません。それでも、本気で待機児童の問題を何とかしてほしいと強く思う人の中心は新婚の夫婦とその家族であったり、実際にこの問題に直面している方々だと思います。

日本が抱えている問題はたくさんあります(世界まで視野を広げればさらに深刻な問題もたくさんあるでしょう)が、みんながすべての問題に関心を持ってほしいというわけではありません。仕事で忙しい人がすべての問題に関心をもとうというのは時間的にも精神的にも負担が大きいでしょう。だからと言って無関心では何も解決できません。

そこで、自分が最も関心のある問題についてちょっと詳しく調べてみよう。調べてきたことを誰かに話そう。そこで話し相手と議論して考えをもっと深めよう。相手の関心のある話も聞いてみよう。という雰囲気があれば、自然と多くの問題に目を向けられるはずです。気づいたらほかの問題にも関心をもってきたということもきっとあるはずです。

ここで問題になるのは友達や仲間、その他関わりのある人とどれくらい日本(世界)の問題について話し合っているか、議論できているかです。先ほど、今の社会では問題についてそれに身近な人しか知らないのは当然だと述べましたが、それはこのことが言いたかったのです。私が今、大学生ということもあり、これからの社会を担うことになるであろう大学生がどんな状況にあるのか興味がありますが、ぼくの周りではあまりいないような気がします。僕の知らないところで話している可能性もありますが、どうなんでしょうかね?

今日一番言いたいことですが、自分自身も含め、普段の会話でもっと社会の問題について話し合ってもいいんじゃないか、話し合うのが当然だという空気、雰囲気があってもいいのではないかと思います。社会問題は政治とも関連してきますが、最終的には国民が関心を持つことでその後の行動に繋がり、良い方向に向かっていく、解決すると思います。

現代は情報があふれているので、探そうと思えば社会問題について書いてある記事もいくらでも見つかりますし、統計データなんかもものによってはあるでしょう。もちろん新聞でも良いでしょう。自分の考えを深めるための道具はそろっているので、それを語り合うという機会が増えていってほしいです。