【物理】古典統計と量子統計における同種粒子の取り扱い
こんにちは。
今までは物理の話題をほとんどしてきませんでしたが、セメスターも始まったことなので、これからは頭の整理も兼ねて少しずつ入れていこうと思います。
数式よりも言葉での説明がメインになると思います。
また、未熟なため間違っていることもあるかもしれません。
今日は、題名にもあるように統計力学における同種粒子の取り扱いです。
まずは古典統計
同種粒子は見分けがつかないのですが(同種粒子を入れ替えても全く同じ状態ということ)、いったん見分けがつくものとして勘定します。そのあとで、重複している分を考慮し修正します。こうした考え方をして作られたものが、修正MB統計です。
古典統計でも、この修正をしないとエントロピーの示量性が説明できないという不具合が生じます。
ここで問題点として、この修正はあくまでも応急処置であるということです。古典的に考えるならばよいのですが、量子的に考えた時にはうまくいきません。それもそのはずで、もともと同種粒子は区別できないのに、区別できると考えて、そのあとで区別できないことによる修正を加えるという、単純に考えれば(言葉は悪いかもしれませんが)ひねくれたことをしているからです。
きっと、同種粒子が区別できないことをはじめから考慮して組み立てていけば、量子的にも正しい結果が得られると期待できるでしょう。
そこで、何を考えるかというと、注目する対象を変えます。古典統計では、状態数を数えるのに粒子に注目していましたが、粒子が区別できないのでは粒子に注目していても状態数を数えることができません。
(古典統計では粒子が区別できると考えて場合の数を数えた)
そこで粒子に代わって、エネルギー準位に注目します。
エネルギー準位に何個の粒子が入っているのかを見るのです。こうすれば、各エネルギー準位に入っている粒子の個数で状態数を数えることができます。
まとめ
古典統計は粒子に注目している。
量子統計ではエネルギー準位に注目している。
以上、統計力学における同種粒子の基本的な(根本的な)考え方についてでした。
料理の練習 No.14 炊き込みご飯 小松菜とベーコン炒め
こんにちは。
今日は小松菜とベーコンの炒め物を作りました。普通においしかったです。
そして、何のために買ったか忘れてしまったきのこと、余っていたささみとを使って炊き込みご飯を作ることにしました。あと、ニンジンも入れました。
こちらは、かなり薄味になってしまいました。これくらいでも素材本来の味が出てきていいですけど、きっともっとおいしくできる気がします。きのこに前もって味付けとかしてみるとよくなるかなぁと感じました。次回への反省ですね。
現在の僕の料理スキルは、ようやく、全く料理ができない状態からは抜け出して、簡単なものは簡単に作れるくらいになったと思っています。
手の込んだ品は全く作れないですが、まだまだ腕を磨く時間は残っていると思うので、少しずつ作れるように頑張っていきましょうかね。
いかに簡単で美味しく、さらにいえば栄養のあるものを作れるかという追求と、もう少し手の込んだものを作ってみようという挑戦と、バランスよく追い求めたいですね~。
以下写真です。
小松菜とベーコン炒め
炊きこみご飯
料理の練習 No.13 ミネストローネ トマトとささみのサラダ
こんにちは
今日は、前回と同じくミネストローネを作りました。
今回は前回に比べスムーズに作れました。成長ですね(笑)
味は、可もなく不可もなくという結果でしょうか。
決しておいしくないわけではないのですが、もう一段階おいしくできるんではないかと思いました。ニンジンがすこーし固かったかなと...
ミネストローネは、何としてもおいしく作れるようになりたいです!
頑張ります。
もう一つ、トマトとささみのサラダを作ってみました。
ミニトマトを半分に切って、豆苗を一口サイズに切って、ささみをレンジで温めて、味付け(ポン酢とゴマ)をして完成です。ゴマがあるだけで、ものすごいおいしくなりました。これは新しい発見でした。これからの味付けにうまいこと使っていきたいと思います。
このサラダ、とても簡単のくせに、なかなかいい味を出すんですね!忙しい時にはもってこいでしょう!
今日は写真がないのでここで終わります。
【読書日記】 夏草の賦
今日は、読書レビュー?を書きたいと思います。
ブログの内容がばらばらですが、このブログはそういうもんだと思っていただければ幸いです。
さて、今回は司馬遼太郎さんの作品、夏草の賦を読んだのでここに書きたいと思います。
長曾我部元親が主人公であり、彼の栄枯盛衰を様々な人物との絡みを通して物語が展開していきます。歴史小説の難しさとして、どこまでが事実で、どの部分が創作、もしくは想像なのかという点があると思います。そこで、僕の感想はあくまで司馬遼太郎が歴史を基に書いたフィクションとして感想を書くことにします。
率直な感想をいうと、歴史小説のいくつかは主人公が天下を取ったり、忍術が特別優れていたりと華々しい描かれ方をしているものもありますが、その点この作品にはそういったものがありません。むしろ、主人公の元親は田舎の一大名にしか過ぎず、しかも武具や格好も酷く粗末であるといったありさまです。
結局、元親の野望は秀吉に打ち砕かれます。筆者は、なぜ元親は天下を取れなかったのか、という点に興味を持っていたのだろうと私は感じました。
なぜなら、成功に至らなかった理由が元親自身、その妻である菜々、息子の信親、そして秀吉、など多くの人間の視点から描き出されているからです。それぞれがどう思っているかは書きませんので、興味ある人はぜひ読んでみてください。
本を読んで、いろんな登場人物の影響も受けつつ、僕なりに元親の欠点を挙げるならば、頑固で人の意見が素直に聞けないことです。判断基準をどうするかが問題点ですが、今まで読んだ歴史小説も含めて考えると、保身に走りすぎるとたいていうまくいかなくなっているような気がします。
もう一つ、志は大きいが、視野が狭いという点も挙げられます。これはしっかり学べということに尽きるでしょう。自分の力だけでは限界があるでしょうから、借りられる手は借りておくということが大事なんではないでしょうか。
どちらも、今の世の中でも当てはまりそうな感じですね。感想を書いていて僕自身勉強になるというか、刺激になりました。
本を読んで終わり、だと何も残らない気がして、もったいないなという気持ちから、本を読んだら感想を書くことにしています。
読み終わって感想を書き始める段階で、この本は何を主張しているのかが分かってきたり、実際それが正しいかどうかはわかりませんが、受け取る側が何を感じるかは割と自由だと思います。
こんなところで、今日は終わります。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!