本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

【読書日記】 【彩瀬まる】 『桜の下で待っている』 

 

まずは、大まかな構成を書いていく。

大きな話が5つあり、新幹線を通して帰省したり、親戚の家へ行ったり、という所からお話が始まる。そこには、必ず車内販売員が登場し、物語に緩やかなつながりが生まれているなと感じた。そして、最後はその車内販売員がお話の主人公であった。

 

 

面白いところに目をつけたなぁ。新幹線に乗っている乗客一人ひとりに、それぞれの物語があって、社内販売員は、その一瞬を、たとえ一瞬だけれども、数多くの人間の物語に触れることができる。この視点、きっといろんなところで使えそう。スーパーで働いていても、飲食店で働いていても、街を歩いているだけでも、そこで見る物語は十人十色だ。

今回のお話の主人公は人生の岐路に立っている人間が多い。もしくは、これから岐路に立つという人間だ。新幹線にはそういう大事な決断をしなければと悩んでいる人、または決心してそこへ向かう人が多いのだろうか?

 

 

さて、僕は5つあるうちの4つめの「ハクモクレンが砕けるとき」というお話が最も印象に残った。少しだけ、内容を書いてしまうと、

少女が主人公なのだが、冒頭で自分の乗っている新幹線が事故にあったらどうしようと心配して泣き出すという場面があるのだが、この段階で、僕と同じじゃん!!と心から共感した。この少女は、死についてどうしても拭えない心の傷を抱えているのだが、そこからどんな体験をして、どんな変化を見せるかというのがこの話の見どころ。

 

その話の中で、少女に話しかける存在がいるのだが、そこでの言葉が、深いなぁと思ったので紹介する。

 

(おそらく死について)「苦しみしか汲み取れないとしたら、お前の目が悪いんだ。よく目を磨いておきなさい。・・・」

この言葉、書いていて思ったのですが、小学校中学年の子には難しくないですか(^^;)

同じような悩みを持っているであろう読者に語り掛けているに違いない...ですよね汗

 

もう一つ、宮沢賢治の「永訣の朝」という詩を母に読んでもらって少女は次のことを感じたようだ。

苦しい、悲しいことがあっても、その中にあるキラキラしたものを見逃さない、心の目を持つことの凄さ。

このお話は、本当に僕にとって意味のある、読んでよかったと心から思えるお話だった。それは、僕もマイナスの面ばかり考えてしまう人間なので、どんなに辛い環境でもそこにある輝きを失わないように、苦しみで覆われたその中にある希望を、自分から手放すことがないように、生きていきたいなと思った。

そして、宮沢賢治の作品を味わってみたいと強く思いました。せめて、「永訣の朝」は読んでみたいです。頑張って時間取ります。

 

 

桜の下で待っている (実業之日本社文庫)

桜の下で待っている (実業之日本社文庫)

 

 

【読書日記】【彩瀬まる】『神様のケーキを頬ばるまで』

久しぶりの投稿になってしまいました。なかなか文章が思ったように書けず、この記事も時間がかかってしまいましたが、頑張って書いたので是非!読んでくれると嬉しいです。

 

彩瀬まるさんの作品です!

とても読みやすく、読書って素晴らしいなぁ、と思いました(笑) 

 

全体の感想

 

全体は5つの話に分かれているものの、ある話での主人公が、別の話でひょこっと再登場するなど、緩やかにつながっている。

主人公たちの間に直接的な関係はない。とはいえ、ある話で主人公が働いているビルの違う職場の人が別の話で主人公だったり、主人公が通っているお店の店員が別の話の主人公だったりと、すれ違う可能性がある、くらいには繋がっている。

うまいなぁ、と思うのは構成の仕方で、お話ごとにテーマがあり、その上で全体が滑らかにゆったりとつながっているのだ。

このゆるい繋がりというものを、僕たちの日常に置き換えることもできるのでは?と考えてみたくなった。

街ですれ違うあの人にも、毎日教室で顔を合わせるこの人にも、恋人や家族がいれば、比較的身近な存在に思える人にさえ、その人だけのドラマがあるんだな、と想像してしまう。

街を歩いているときに、職場や学校にいるときに、ふと、あの人はどんな物語を作っているのだろうと考えてみることの面白さよ!

何かつらいことがあって現実逃避したい時は、周りの人の物語を想像するというのも一つの手だな、ふむふむ...

 

辛くなったら街に出て歩け、とね

 

 

さてさて、話を戻そう。

書く話ごとに感想を書いていきたい。

 

『泥雪』

主人公は子供を二人もつ母で、夫とは離婚している。マッサージ店を営んでおり、お客さんの悩みを聞きながら自身の悩みとも向き合う、そんなお話。

 

感想

周りにひときわ輝いて見える人はいないだろうか?

それって実は、その人の裏側を知らないだけなのかもしれない。

残念ながら、世界はやさしさだけでなく、憎悪や苦しみもあちこちに存在する。

立派に見える人はそれを受け入れ、その上で必死に生きているから、その姿が輝きを放つのかもしれない。

つまり、人が見えない裏側では地道に泥臭くもがいているが、人には輝いている部分しか見えず、ついついそれがすべての様に錯覚してしまうのだろう。

 

『七番目の神様』

「どうでもいい奴にどう思われようと、関係ないだろう。なんだお前、そんな奴らのことまで気に病んでるのか」

人付き合いは苦手ではないが、その先に踏み出せないカフェの店長♂(主人公)と、時々河原に姿を見せる気の強そうな初老のおじさんの会話で、おじさんが発した一言だ。

主人公が、お仕事や恋愛に悩みながら日々を過ごし、自分の殻を破ろうとひびをいれたところで物語は終わる。

 

感想

自分の好きなことは見つけている人も多いと思う。それが小さなことでも全然かまわない。それが、自分らしさをを作り上げるのだろうと思っていた。

しかし、それだけではないようだ、とこの物語を読んで感じた。

何かというと、人には向き不向きがあって、それを見つけられるのも自分らしく生きる1つの道なんだ、ということである。

世の中には、学校があり、勉強ができるできないで評価されがちだが、それはその子の一面に過ぎない。たまたま勉強に向いていない子もたくさんいるのだ。

彼らには勉強以外のところで才能があるはずで、そこに気づけるかが大事なのかもしれない。もちろん、好きなこと、向いていることが一致する人もいて、その人ばかり注目されがちだが、それはごく一部の人だけだ。

好きだけど向いていないことだってたくさんあって、あのゴッホさえ、職を転々として20代の後半になってから画家として歩み始めたくらいだ。

そう思えば、まだまだ自分にだって向いていることを見つけるチャンスはある!

 

『龍を見送る』

全くの無名から、徐々に名を挙げてきた二人組のバンド。そのボーカルが主人公を踏み台に新たなパートナーとさらにバンド界を駆け上がる。

 

感想

主人公が、同じ事柄に対して、全く異なる意見を聞く場面がある。

どっちが正しいとかではなくて、自分の考えの軸をもって、それを自分の意見として伝えられるか、が大切なんだなと感じた。

僕も自分の考えを自分の言葉で話せるようになりたい。最近、文章で自分の気持ちを書き出すことはできるようになったけど、これだけだと粗いし、伝えられるまではいかないな、と思っているので、もっと自分の考えというのを自分で理解する努力をしていきたい。そして、相手に伝わるような話し方をしたい。

 

 

『光る背中』

主人公の女性は、さぞモテるであろうエリート商社マンにアタックをかけるがなかなかうまくいかない。そんな中、一人の女性との出会いをきっかけに、一歩前へ踏み出していく。

出会った女性は可愛い上に、「自分の目」をちゃんと持っていた。それが主人公の心に響いたようだ。

 

感想

僕が自分の意見を言えないのは、上で書いたように理解していないこともあるのだが、その意見のために嫌われるのが怖いからかもしれない。人に嫌われる経験がないからなのだろうか。嫌われてもどうってことないと思えれば、良い方向へ変わっていけるかもしれない。

 

主人公が出会った女性が主人公に語りかける場面があって、そこで大まかに以下のように話していた。

(映画の作品に対して)、評価が真っ二つに割れるのは、自分を素直に表現した作品故である。そのため、違う意見を持つ人にはひどく嫌われてしまう。逆に、みんなから嫌われない作品はどうでもいい作品なんだ。

 

そうかもしれない。イチローもこれと同じようなことを言っていたのを思い出した。

『塔は崩れ、食事は止まず』

主人公は、アルバイトの下積み時代からともに過ごした、カフェの共同経営者と意見の対立からお店を離れることになり、一寸先は闇、という生活を送る羽目になった。しかし、そこからかちかちっ、と歯車が回り始めた。

半年後には今までは想像もしなかった世界が広がっていた。

 

感想

大切なのは過去にとらわれないこと。

現状が悲惨でも、頑張って生きていれば1年後には今の自分には想像もできない世界が広がっているかもしれない。僕は今まさにそれに近い状況に置かれている。研究室に配属されるのだが、どこに配属されるかで僕の将来は良くも悪くも大きく変わるだろう。自分にできることは、その環境で精いっぱい頑張ることだけだ。

時に悪い方向に進むこともあるだろうが、良い方向に進むことだってあるはずだ。

物語では、長い、深い付き合いがあった人との別れがあるが、その辛い別れは、新たな出会いに巡り合う出発点でもあるのだ。

 

神様のケーキを頬ばるまで

神様のケーキを頬ばるまで

 

 

Loving Vincent (ゴッホ ~最後の手紙~)

ゴッホ~最後の手紙~を見たので自分の感じたことを書いていこうと思います。

話が映画からずれるところもありますが、ご了承ください。

 

この映画の存在を知った時からこれは見たい!と思っていました。きっと素晴らしい映画に違いないと(笑)!

上映期間やら自分の都合やらでなかなか見に行けなかったのですが、やっと映画館に足を運ぶことができました。良かったです!

時間のない方はぜひ、「最後に」の部分だけでも読んでくれると嬉しいです。

 

あらすじ

少しだけ、ストーリーを書いておきましょう。内容を知りたくない方は次の段落を飛ばしてください。ただ、僕が思うに、メインはここには書いていないつもりです。主な時系列をまとめました程度です。

 

 

主な舞台はゴッホがなくなって一年後のことだったと思います。ゴッホが弟に向けて何通もの手紙を書いていたそうですが、その手紙を配達していた人の息子が主人公という設定です。亡くなったゴッホが弟に向けて書いた手紙が見つかり、それを父に頼まれて主人公が弟へ届けに行くという話です。その中で、いろんな人から、いろんな角度で話を聞き、ゴッホの死について考えをめぐらしていきます。最終的に手紙は弟の妻へ届けられたところで終わります。

 

感想

この映画のすごいところは、100人以上の画家が油絵を何枚もひたすら描いて作り上げたということです。その数なんと65,000枚だそうです。前代未聞の映画ではないですか?!相当な時間と労力とお金と掛かったことでしょう。この映画をこのタイミングで見れたことは幸運だと思います。(このタイミングとは美術鑑賞が好きになって間もない時期と思ってください)

しかも、ゴッホのタッチを再現して描いています。世界中から一流の画家が集まってこの作品を作り上げたのです。これを見に行かないでどうするのか!と僕自身は思います。それは、僕が最近、美術鑑賞を好きになったからですが、そうでない人もきっと見に行く価値はあると思います。

美術作品を見るにあたって、僕は少しくらいは知識を持って見たほうが良いと感じるタイプです。この映画を見る前にも、この映画のためだけではないですが、ゴッホの本を少し読んでいました。やはり、ゴッホがどういう人生を送ってきたのか知っているほうが楽しく見れると思いました。ただ、個人の感覚によると思うので、美術鑑賞は自分の好きなように見ればそれでよいと思います。ただ、いろんな楽しみ方があるんだろうと思うので、自分の考えだけではなく、別の楽しみ方を見つけたらそれも試したいなと思いますね。

 

さて、映画を鑑賞中、知っている絵が出てくるたびに、心の中で「おぉー!」と叫んでいました!映画でゴッホの絵をこんなに見ることができるなんて幸せだなぁと思います。ゴッホの絵を見ると、ただ感動するだけではなく、彼がどんな状況でどんな思いで描いていたのかと想像せざるを得ません。ついついそこまで考えてしまうのですよね。そうさせてしまうことが彼の作品の魅力のひとつであると思いますが・・・

僕のゴッホの捉え方は、性格に難があるにせよ画家としては立派だったと思います。何をえらそうなこと言ってやがる!という感じですね、すみません。ただ、変人だったからあんな絵が描けたというようには思えません。全くの個人的な捉え方です。いくら変人であっても、絵を描く技術が素晴らしくなければその絵に価値を見出す人はいないでしょうし、ましてや世界中で誰もが知る有名な画家にはなれないでしょう。絵に対して、真剣に、真面目に、そして強い野望をもって取り組んでいたはずです。それが、人として立派かというと話は別で、何とも言えません。一般論としてですが、何かある方面で卓越した能力を持っていることと、その人が立派な人間であることは必ずしも一致しないでしょう。もちろん、どちらも持ち合わせた人もいるでしょうし、そうでない人もいるでしょう。ただ、ゴッホがこれだけ人に愛される絵を描いたということに僕は尊敬の念を抱きます。

 

そして、ゴッホの絵は、僕にやる気を与えてくれます。より正確には、ゴッホがたった8年の間に尋常じゃない量の絵を描き上げた、それも優れた絵を描いたという事実が、じゃあお前はどうなんだと、僕を急かしているように感じています。もちろん、そのように自問しているということですね。ゴッホのようになろうなんて思っちゃいないですが、天才ではない(ましてや秀才ですらない)僕が、何か成し遂げようと思ったらそれは圧倒的な量をこなす必要があるんだろうなと、ゴッホの絵を見て思うわけです。ちょうど、大学の進路を決める時期でもあるので余計にそう感じてしまいます。体を壊しては元も子もないですが、努力を怠ったら達成できるものもそれ相応のものになるんでしょうね。ゴッホの絵を見てこんなことを思っている時点でだめなんだろうと思いますが、最近はダメダメな心から少し前へ歩き出したのではないかと思っているので、なんとか頑張っていきたいと思います。気づいたら、「おっ、この人も俺みたく頑張ってるやんか!」と感じられるくらい悔いのない日々を送りたいです。

 

 

最後に

ゴッホの映画とは関係ない話になってしまいましたが、話を戻しましょう。ゴッホの死の真相は何なのか、自殺か、他殺か、今となっては真相は闇の中ですが、それが歴史というものなのでしょう。当事者にしか分からない、当事者自身でさえ、全貌が分からないはずです。そこから僕らは何を感じるのか。ゴッホに関しては、彼が残した絵と書簡がすべてを語ってくれているはずです。それがすべてなのです。

映画では、分からないけれども真実を追い求める姿に共感しました。この曖昧模糊とした真相こそが僕を(きっと僕以外にも多くの人を)惹きつけるのでしょう。程よく緊迫感があり、また何よりゴッホの絵を堪能できるという意味で最高の映画でした!

ぜひ、ゴッホ~最後の手紙~ご覧になってください。

料理の練習 No.21  チャーハン

先週作ったチャーハンを今載せます。

このチャーハンはレタスと長ネギとソーセージと卵を使ったシンプルなものですが、味は良かったです。シンプルだから良かったのかもしれませんが。

このくらいならばさっと作れるようになってきました。ただ、適当になってきたとも言えましょう...

何はともあれ、さっと作れる料理を増やすことがこれからの目標ということにします。

 

写真

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料理の練習 No.20 きのこパスタ

久しぶりに料理を投稿することにしました。

最近は心に余裕がなくて、いざ作っても記事にするのが面倒だったのですが、記事書こうかなと思えてきました。

 

今日は、お昼にきのこパスタを作って食べました。簡単にできてしかもおいしいので幸せな時間でした。きのこは便利でいろいろ使えそうなので、きのこを使った料理がこれから多くなるかもしれないなーと思っています。

ちなみに、夜はチャーハンを作りましたが、それはまた今度にします。

 

今日の写真

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