本、絵画、映画と戯れる日々を

本や映画など何かしら作品の感想を書いていきます。

行動を起こす言い訳をくれる一冊『嫌われる勇気』(第三夜〜第五夜)

前回に引き続き『嫌われる勇気』の要約をしていく。

感想 

第三夜

他者から承認を求めるという行為は他者の期待を満たすことになる。他者の評価ばかりを気にしていると他者の人生を送ることになってしまう。それは本当の自分を捨てることにつながる。それでは他者のことなど考えずに自分勝手に振る舞えばいいのかというとそうではない。ここで「課題の分離」という考え方が登場する。

  • 課題の分離とは、目の前にやるべきことがあった時、それは誰の課題なのかを見極めることである。自分の課題か、他者の課題か。

例えば、子供の宿題は子供の課題であって親の課題ではない。他にもカウンセラーの課題は相談に来た人の相談に乗り、解決策を提案することである。実際に解決するのは相談に来た本人の課題である。

  • それをすることでもたらされる最終的な結末が誰に寄与するのか

これを考えることで誰の課題か判別可能である。宿題をして知識を得るのは子供だし、相談内容を解決することで恩恵を得るのはカウンセラーでなく相談した人間である。

そして、課題が見極められたら次に意識することは

  • 他者の課題には踏み込まないこと

である。

  • 馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。

という言葉にあるように、他者にできるのは何かができる環境を整えてあげることだけである。実際に行動を起こせるのは本人だけ。

宿題の話も本人に勉強をさせることはできなくて、勉強できる環境を整えることだけしかできない。

  • 自分を変えることができるのは自分だけ。
  • 他者の課題は切り捨てる。

相手を信じること自分の課題。信じた相手がどう行動するかは他者の課題。つまり、相手の行動は自分にはどうしようもないので切り捨てる。

他者の課題までも背負ってしまうと自らの人生を重く苦しいものにしてしまう。

  • 人からも嫌われたくない→自分に嘘をついて、周囲の人に対しても嘘をつく人生になる。
  • 自由とは他者から嫌われることである。
  • 自分の生き方を貫くため、自由になるためには他者からの評価を気にしない、他者から嫌われることを恐れない勇気が必要。

ここで「嫌われる勇気」というキーワードが登場。

  • 対人関係のカードは常に自分が持っている。

相手がどう思っていようが関係ない。自分が〇〇したいから相手に〇〇というアクションを起こす。これで変わったのは自分だけ。相手がどういう反応を見せるかは自分の知ったところではない。ただし、自分が行動を変えることで相手も変わらざるを得ない場合が多い。

 

第四夜

課題の分離は対人関係の出発点。相手とどう接するかを考える際にまず最初にするべきことが課題の分離である。

では対人関係のゴールは何なのか?一言で表すと

  • 共同体感覚

となる。

  • 共同体感覚とは他者を仲間とみなし、そこに自分の居場所があると感じられること。

わかりやすい例では、学校、会社、何かの団体、国、人類など。もっと広く生物、宇宙、時間軸を超えて過去から未来を含むすべてもそこに含まれると言っている。

まあ、ここはわかりやすいところから考えればいいんじゃなかろうか。

  • 自分の居場所、いわば所属感というものはただ共同体に属しているだけでは得ることはできない。自分から獲得していく。獲得するために、自分が相手に何を与えることができるかを考え、実際に与えることが大切。

もし自分が世界の中心にいる、例えば物語の主人公であれば、自分から動かずとも相手が自分に何でも与えてくれる。しかし、世界の中心にいるわけではなく、その世界の一部でしかない。相手は自分のために動いてくれるわけではない。そこで、自分に執着するのではなく相手に関心を寄せることが必要。

これは相手の顔色を伺うことではない。

相手に関心を寄せることも同じようなことかもしれない。

両者とも所属感を得るという目的は同じであるが、一方で明確な区別がある。

それは、自由に生きているか、そうでないかである。もちろん相手に関心を寄せる方が自由に生きていける。

相手の顔色を伺うことは結局自分のことしか考えていないので相手に関心を寄せていないことになる。そのため相手に何か与えることができず所属感を得ることができない。

  • 対人関係の中で困難にぶつかった時は、より大きな共同体の声を聞け。

目の前の小さな共同体に必要以上に縛られる必要はない。困った時は、もっと広い共同体を思い浮かべてその中でどう動いたらいいのか考えること。

自分の属している共同体は、何も学校だけではない、もっと広く地域社会に属しているし、日本社会に属している。もし学校に居場所がなければ転校だって、退学だって目を向ければ我慢する以外にも選択肢はある。紙切れ一枚で関係が切れる共同体があれば、所詮その程度の関係なのだと吹っ切れるだろう。

  • 叱ってはいけないし、褒めてもいけない

どちらも上から下の立場への行為。人がそれぞれ違うのはそれが優劣によるものではなく、単に役割が違うだけ。「同じではないけれど対等」、「横の関係」になるべき。

  • やるべきことは「馬を水辺に連れていくこと」。

そして

  • 感謝を伝えること。

人は感謝の言葉を聞いた時他者に貢献できたことを知る。そのことから自分に価値があると思うことができ、生きる勇気につながる。

  • 横の関係を築くためには、意識の上で対等であること、主張すべき意見は堂々と主張することが大事。

 

第五夜

自分ひとりで部屋にいる時はありのままの自分でいられるはず。問題は人前に出るとそうでいられなくなるということ。

これを克服するために、共同体感覚が必要。

共同体感覚を持つために必要なことが3つ。

  • 「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」

自己肯定ではなく自己受容。

  • できない自分もありのまま受け入れて、それを理想に近づけることを考えるまでが自己受容。

変えられることとそうでないことを見極めて変えることができることを変える勇気を持つ。

ここでは信用と信頼を次のように区別する。

信用は他者を信じる時担保が必要とする。信頼は他者を信じるとき一切の条件を必要としない。

アドラーは他者信用ではなく、他者信頼が必要だと言っている。無条件に人を信じるのはお人好しかもしれないが、相手が裏切るか裏切らないかは相手の課題。

道徳的観点から相手を無条件に信じることを勧めているのではなく、

  • 相手と横の関係を築くための手段として信頼するという武器を使え

と言っている。信頼した結果ダメなら、そこの関係は断ち切れば良いだけの話。ダメでもずっと信頼しろと言っているわけではない。

  • 他者貢献とは最終的には私の価値を実感するためにこそなされるもの

相手のために自分を犠牲にする必要はない。

  • 他者貢献は目に見えるものでなくても良い。

自分の行為が相手に貢献できているかを判断することは相手の課題なので、なんなら

  • 貢献感を持てればそれで良い。

そうすれば幸せを感じることができる。

  • 普通であることの勇気を持つ

特別であろうとするのは普通である自分を受け入れられないから。普通であることは無能であることではないので、そこを間違えないこと。わざわざ特別である必要はない。

  • 人生は線ではなく、点の連続。今この瞬間しか生きることができない

人生を山登りに例えると、目的は登頂ではなく登山そのもの。登頂できるかどうかは関係ない。過程のさきに結果があるのではなくて、過程そのものが常に結果になっているというような感じ。

登頂に意味がないというのではなくて、今できることを真剣に全力で取り組むということ。登頂するまでにどんな準備が必要でどんなルートをとるのか考える段階から全力で取り組むことが大事だと言っている。

  • 人生は常に完結している。

20歳でなくなろうと90歳でなくなろうと、終わったところが完結点である。

  • 一般的な人生の意味はない。人生の意味は自分自身が己に与えるもの。
  • 迷った時の道しるべは他者貢献にある。

 

 

最後に

ざっとまとめてみて、点としてはわかったことはあっても、それが全て一つの理論としてつながるまで理解はできていないことがよく分かった。。。まあ、一つの理論体系を数回読んだだけで理解するのは無理ゲーだな。実際に行動してみて、「あっ、こういうことを言ってたのか!」と実感する方が良さそう。

ただ一番主張したいことは、自由に生きろということ

そのために嫌われれ勇気を持て。そして、目的論で考えろ。ということ。

悩みの種は全て対人関係で、対人関係を考える時、スタートに課題の分離があって、自分の課題だけを考えろと。

そしてゴールには共同体感覚がある。共同体感覚を持つために、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」が必要である。

貢献感があれば幸せを感じることができる。

こんな感じだろうか。

 

最後の最後に、要するにこの本は「行動を起こすための言い訳」をくれたということだと思っている。

ついでにどういう風に行動すればいいのかも紹介してあげる!くらいの認識で今の所捉えている。ただ、そのついでがとてもためになったという感じ。

行動を起こす言い訳をくれる一冊『嫌われる勇気』(イントロ〜第二夜)

気になっていたものの今だ手をつけていなかった一冊『嫌われる勇気』をようやく読みました。なぜこのタイミングかというと、200万部突破記念で限定特装版が売っていたからですね。金ピカの表紙です笑

私、ミーハーですね。

ミーハーはさすがに死語ですかね。。。でも使います。

 

 

基本的な情報

2013年に第1刷が発行され、現在まで2019年11月20日時点で51刷されている。

累計発行部数200万部を突破しているロングセラーヒット作。6年も売れ続けていたらロングセラーといってよいだろう。

フロイトユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラーの築いた心理学を対話形式でわかりやすく解説してくれている。

この本は生きる上で悩みを抱えている方にこそ読んでほしい

ちなみに私はフロイトユングも名前くらいしか知らないので、そういう方も安心して読めるだろう。

 

要約

イントロ

世界はシンプルである。

人は変われる。

誰もが幸福になれる。

 

もし今世界が複雑に見えているのだとしたら、あなたが世界を複雑なものとしている(思い込んでいる)に過ぎない。世界そのものが複雑なのではない。

一つ世界がポンと置かれているとして、人々はそれを様々な角度から、かつ自分専用のフィルターをかけて見ている。人々はそれを世界というが、それは”自分で世界に意味づけを施した主観的な世界”なのである。

世界が変わるのではなく、自分がどう変わるか。サングラスを外せるか。

 

第一夜
  • アドラー心理学では、過去の原因が今の行動を作り出すと考える「原因論」ではなく、今の行動を取る目的を達成するための手段として過去の出来事を利用していると考える「目的論」を取る。変わりたいなら原因論ではなく目的論をとれ。目的論ではトラウマも明確に否定される。
  • 人は、過去の経験そのものではなく、過去の経験に与える意味によって自らの行動を決定する。
  • 過去に何があったかではなく、その出来事をどう解釈するか。
  • 自分を変えることの第一歩は知ることにある。
  • 何が与えられたかに注目しがち、与えられたものをどう使うかに着目せよ。
  • 今の自分が不幸なのは自らの手で不幸であることを望んだから。

アドラー心理学では、その人の性格や気質、もっと広く世界観や人生観のことを「ライフスタイル」という。

  • ライフスタイルは変えられるもの。変われないでいるのは自ら変わらないという決心を下しているから。
  • 変わりたいけど変われないのは、変わらない方が楽だから。
  • ライフスタイルを変える時、勇気が必要。環境や能力ではなくて。
  • もし〇〇だったらと可能性の中に生きているうちは変われない。

さっさと行動してできるかできないか知れということだろう。そこでできなかったという事実を突きつけられることが苦しいのだと思う。それを避けるためにウジウジして行動しないというわけだ。

まあ、自分に当てはめてみてもそうかもしれない。新しいことをやろうとすると、初めのうちは少し楽しいけど、少し進んでいくと一筋縄ではいかないことがわかってくる。そこでその困難な壁に向き合うか、ちゃんとやればできるかもしれないけど、、、と諦めるか。後者を選んでいるうちは変われないということだ。少しずつ変わっているつもりだけど、これを読んで前者をとればいいんだと分かったのは自分にとって大きい。

 

  • これまでの人生は今からの人生をどう生きるかになんの影響もない。それを決めるのは「今、ここのあなた」だ。

極端な話、昨日まで野球一筋だった人が明日から物理学の研究者になることにします、と決めて行動するのもあり、ということだ。そうしようと思う人がいないだけで自分でそう決めて行動に移していいんだよ、と諭してくれている。

上記は極端な例だが、現実にはこうなりない、こうしたいけど行動ができない、、、今まで〇〇したことないし、、、という人がたくさんいることだろう。

そういう人に向けて、いやいや行動していいんだよと促してくれるアドラーさん、優しいですね。

 

第二夜
  • 自身の短所ばかりに目がいってしまうのは自分を好きにならないでおこうと自分が思っているから。目的論風にいうと、自分を好きにならないという目的のために、短所を見つけている。可能性の中に生きているという観点では、自分にこの短所がなければもっと素晴らしい自分になれるという可能性に生きているということになる。

この可能性の中に生きていては前に進めないので、勇気を持って前に進めというのがアドラーの教えだ。言いたいことの雰囲気はよく分かる。自分はまさに可能性の中に生きていたと思う。。。手遅れになる前にこの本を読んで良かったわ。

 

  • そして短所ばかりに目がいき自分を好きになれないのは、対人関係において人から嫌われ、その結果自分が傷つくことを恐れているから。

目的論でいえば、人から嫌われて自分が傷つかないことが目的にあり、それを達成するために自分の短所を見つけておき保険をかけておく、必要以上に落ち込まないように前もって準備しておく、ということになる。

ここはまさに自分のことそのままだった。なんなら僕は対人関係すら避けているのでもう少し深いところまで症状が進んでしまっているが。

  • 悩みを消し去るには宇宙の中にただ一人で生きること

これについてはそんなのできないのだから悩みを消し去ることはできないという意味で使っている。

  • 人は社会の中での「個人」のみを感じることができるだけで、真に個人というものはない。もしそうなら個人という概念すらなくなってしまう。

まだ整理できてないけど、自分のことを考えるとき、広い枠の中の一つの存在として自分を考えるって大事な視点かもしれないと思った。僕は今までこの視点を持っていなかった。

  • 人の悩みは全て対人関係に収束する。

人の悩みはお金と人間関係とは良く言うが、アドラー心理学では対人関係の悩みが全てという大きな柱で構成されているようだ。

  • 劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」である。

例えば、身長について、身長が低いことそれ自体が劣っているわけではない。劣っていると思い込むことで劣等感が生まれてしまう。同じく足が遅いこともそれ自体は劣っているわけではない。そもそも人間のスピード自体たかが知れてるわけで、その中で速い遅いと争ったって仕方のないことだと思えば、別に悪いことでもないように思える。もちろん、速くありたいという人を批判しているわけではなくて解釈の一例を挙げたに過ぎない。私はどちらかといえば足が速くなりたいと思っている側の人間なので。ただ遅いことに劣等感を持たなくてもいいよね、というだけの話だ。

  • 主観の良いところは自分の手で選択可能であるということ。客観的な事実は変えようがない。

だから自分の変えられるところを変えましょうよ、という話だよね。変えられないものは変えられないのだから、そこで立ち止まっている場合じゃないでしょう、と。

  • A(という劣等感がある)だからBできない、というのが劣等コンプレックス

これは因果律ではなくて、見かけの因果律。高学歴ほど社会的に成功しやすいという現実にどう立ち向かうかという問題になる。学歴が低いから成功できないのではなくて、成功したくないと考えているから成功できない。→ライフスタイルを変えればいいのに。

  • 自慢をする人は劣等感を感じている。

経歴詐称や権力を持った人と懇意であることをアピールすることなど。過去の自慢話なんかもそう。

  • 不幸自慢。不幸であることによって特別であろうとする。腫れ物扱いが気にかけてもらっているように思えてしまう。
  • どこまでも続く平らな地面を自分の前を歩く人もいれば後ろを歩く人もいる。誰と競争するでもなく前を歩いて進めば良い。他者との比較でなく、理想の自分との比較をすること。今の自分より前に進むことに価値がある。
  • 他者と違いはあれど対等ではある。人との違いを善悪や優劣で語ってはいけない。

自分に合う道を探して進め、という考えに繋がりそう。

  • お前の顔のことを気にしているのはお前だけだよ。

これは本当にその通りなんだろうけど、一方でそう言われてもなぁという人はたくさんいるだろう。実際、幸せかどうかは別にしてイケメンの方がモテるしブサイクな人より良い思いをすることは多いだろう。ただ問題はその状況において自分がどこに幸せを見出すかということであろう。顔も大事かもしれないが、その人の特徴は顔だけじゃないし、性格、運動能力、頭の回転、話の仕方、趣味、などなど色々あるわけで。

  • 人々を私の仲間と思うか敵と思うかで世界の見え方は違ってくる。
  • 罵倒されたらその人が隠している目的を探る。権力争いを挑んできてると考える。勝つことによって自らの力を証明したいと思っているはずだ。
  • 権力争いを挑まれても絶対に乗ってはいけない。
  • 謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りることは負けではない。

 

アドラー心理学の目標

行動面

  • 自立すること
  • 社会と調和して暮らせること

心理面

  • 私には能力がある、という意識
  • 人々は私の仲間である、という意識

 

これらの目標を達成するための方法

「人生のタスク」というものに向き合う。

人生のタスクとは「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つ。

人生のタスクは社会的な存在として生きていくときに避けられない対人関係のことで、その関係性のレベルが3つに分かれている。

「仕事のタスク」

仕事をする上で人との関わりは避けられないが、共通の目標があるので、少しくらい気が合わなくても協力できたりする。プライベートでは特に関わりを持たない。浅くて遠い関係。ニートは仕事そのものでなく、仕事上での対人関係が原因でニートになる。

「交友のタスク」

仕事を離れて、仕事での付き合いという強制力が働かない関係。仕事のタスクよりも深くて近い関係。難しい。

「愛のタスク」

3つの中で最も難しい。恋愛関係や家族関係(特に親子関係)。人はこの人と一緒にいるととても自由に振る舞えると思えたとき愛を実感することができる。束縛してはいけない。

 

  • 友達関係のときは気にならなかったことが、恋人関係になると気になりだしてしまうあの現象。。。

アドラー的には、その関係を終わらせるための準備としてその材料を探し回っていると考える。相手が変わったわけではなくて、自分の目的が変わっただけ。自分の目的一つで、相手がよく見えたり悪く見えたりするもの。

 

アドラー心理学では、様々な口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを「人生の嘘」という。

  • 人生の嘘にすがってしまうのはただただ勇気がないから。善悪や道徳などは関係ない。

 

途中だけどまとめと個人的な解釈を少し

要約を書こうと思ったら要約にならなかった。。。目から鱗な主張が多くて書き出してたら膨大な量になってしまった。続きはもっとポイントを絞ってまとめようかな。

 

僕なりにこの本の解釈をしてみたら、行動を起こす言い訳をくれる本だという結論にたどり着いた。「きっかけ」ではなく「言い訳」というネガティブな言葉を使った理由は、ある種盲目的に行動を起こす側面もあるのかなと思ったからである。この本を読まなくても行動でいる人はおそらくいてそういう人たちには必要ない本だと思う、というか別の本なり考え方をうまく落とし込んでここに書いてあることができているのかもしれない。

この本は今まで行動を起こしたくても起こせなかった人に向けて、行動を起こして良いよ、そのための言い訳を用意しておいてあげるからというメッセージを送っているような優しい雰囲気がした。

もしかしたら間違っているかもしれないが、アドラー心理学で一歩踏み出す勇気を持てと言ってるから(中身をどれだけ理解しているかはともかく)僕は行動することにしたと考えて行動をする人もいるだろう。アドラー心理学では過去の行動は今の行動に何も関係ないのだから、今自分のライフスタイルを変えて〇〇することに決めたという人もいるだろう。それを”勇気”と呼ぶのかもしれないが、”言い訳”と捉えてもそこまで違和感ないな、と感じたところで一旦筆を置きます。

【雑記・メモ】『凪のあすから』インタビューを読んで

この作品、公式サイトにインタビューが33回分も載っていたので、これを読んでもう少し踏み込んでみたい、制作した方の目線、思いを知りたいと思って全部読んだ。

思ったことをいくつか書き出しておく。

第1回〜3回

エナが胞衣からきていることを初めて知った。そもそも胞衣自体を知らなかった。勉強になった。

この設定になるまで紆余曲折があったという話もしていて、あぁ〜やっぱりそういうものなのか、と視聴者目線で感じた。色々考えてそういう設定に至ったのだ、というこの色々考えての部分を作品を通して感じることができたらいいなと思った。間違っていてもいいので、制作陣が伝えたいメッセージを読み取りたい。この作品はそういうアニメだからね。あとは色彩や映像の美しさも存分に味わいたい。

そんな気にさせてくれた回だった。

第4回

ドロドロしたものをキラキラと描いた作品っていうのは、この作品の一面をズバリと端的に表現できていて「その通り!」と声が出た。

複雑な感情をシンプルに描き出したかったのか〜なるほどね

第9回〜13回

声優さんが自分のキャラクターをどんな風に解釈しているのかが分かった。みなさん、キャラクターの性格を言葉で表すのがとても上手でこう書けば良いのかと参考になった。

第15回

作品の魅力がふんだんに語られている回、ここを見た後で作品を見直すと新しい発見ができそう。

第18回〜29回

いろんな担当の人が自身の仕事内容と大変だったこと、こだわったことなどを述べている。音響、色彩設計などなどそれぞれに絞って作品を見直すと深く味わえるだろうけど、めっちゃ時間かかりそう。。。

第28回

さゆ&要派がいる!

第29回

瞳だけに着目して見直すのもありだな。

第33回

タイトル案がたくさん出てきた面白い。凪のあすからもいいけど、他のタイトルだったらどんなだったかな〜

ボツになったシーンがみてみたい。

 

ここに登場する全スタッフに子供の頃に読んだ童謡を伺っているので、いろんな童謡を知る資料としてもいいかもしれない。

片想いよどうか実ってくれ!!『凪のあすから』

はじめに

凪のあすから』はP.A.WORKSによるオリジナルアニメである。2013年10月~2014年4月までの2期にわたって放送された。

P.A.WORKS代表取締役からの「若いスタッフがやりたいものを」という発案で企画がスタートしたらしい。(Wikipediaより)

P.A.WORKSの作品はこれまでにも『花咲くいろは』、『SHIROBAKO』、『サクラクエスト』、『色づく世界の明日から』などを観てきて、どれも主人公の必死に生きる姿や映像の美しさに感動した素晴らしい作品だった。

他にも『有頂天家族』、『さよならの朝に約束の花をかざろう』、『Angle Beats!』など見てみたいと思う作品をあげると枚挙にいとまがない。というのは言い過ぎか。。。

素晴らしいオリジナルアニメを作り出していることがP.A.WORKSの一つの特徴かもしれない。

 

あらすじ

舞台設定が少し特殊で、海の中で暮らす人間と陸で暮らす人間がいる。海中の学校が廃校になり、陸の学校に転校する場面から物語は始まる。

舞台は前半と後半に分かれている。

 

陸の学校へ転校することになった海出身の4人の生徒。

情熱的で気づいたら行動に移してる、高い壁も先頭切って乗り越えていこうとする姿はまさに主人公、光。

明るく元気なところが取り柄、ついて行くだけだった自分から進んで行動する自分へ成長を遂げようと奮闘するまなか。

包容力溢れるお姉さんキャラ、今の関係を壊すのが怖くてなかなか一歩が踏み脱せずにいるが、果たして一歩踏み出せるのか、ちさき。

どこか達観していて余裕があるように見えるが、実は寂しい気持ちを隠している?めちゃくちゃ優しい、どうか報われてくれ、要。

 

そして、陸出身の3人の生徒。

無口なくせにさらっとキザなセリフを吐くイケメン、優しくて優秀、周りの男子がかわいそうだぞ、紡

大人っぽさと子供らしさを兼ね備えているしっかり者、さゆとの友情関係は理想的、初恋の輝きよ永遠なれ、美海(みうな

一見やんちゃそうなのに実は優等生、ツンツンしているの可愛い、思ったことをはっきり伝えることができてたくましい、さゆ

以上がメインの人物だ。

 

廃れてしまった行事「おふねひき」を復活させるべく行動する光たち。陸の人間と海の人間の間にあるわだかまりが衝突し、いろんな感情が交錯する中、恋の関係もまた複雑に絡み合っていた。

好きという気持ちは苦しい。好きにならなければよかった。好きは大事。好きはあったほうがいい。

正解はないかもしれないけれど、それぞれが自分なりに答えを見つけて歩み出す、そんな甘くて苦い物語。

 

感想(ネタバレあり注意)

このアニメ、恐ろしく片想いしか出てこない(特に前半)。制作陣の中にそういう性癖の人がいるとしか思えないほど特殊な設定になっている。

都会の通勤電車よろしく片想いを詰めに詰め込んだこの作品で、彼らが仲良くやっていけるのは奇跡以外の何物でもない。それでもアニメだからこそ描ける、アニメの力を存分に活かした物語だと感じた。

とりあえず私の主観で人間関係をまとめてみた。

 

前半はこんな感じ

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恐ろしいほどに一方通行の矢印しかない。

まなか、光、ちさき、要の4人は小さい頃からずっと一緒で仲良くやってきたという。この4人でなかったら泥沼の修羅場がいつ訪れてもおかしくない。

相手との関係が壊れたらと思うと気持ちが伝えられない、ということはしばしば聞くが、それを伝えるために絶好の状況を作り上げたと思う。

そんなシチュエーションでも仲良くやってこれたのは4人が4人とも優しい人間だったからであろう。

仲良くとはいえ、毎回悩んでは涙する場面が描かれており、胸が苦しくなるシーンは他のアニメに比べ多かった。

 

後半はこんな感じ

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相変わらずだが、最終回に向かうに連れて少しずつ各々が気持ちを整理していき、最後はこんな感じに落ち着いた。

 

最後

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まなかと光、紡とちさきが結ばれて、さゆと要がこれから距離を縮めていく、みうなは初恋叶わず。

みうなを含め、みんな最終的には前向きな気持ちで新しい一歩を踏み出しているので、ハッピーエンドだ。

 

 

さて、ここからどうまとめようか、、、

主要な登場人物が多いんだよな、、、

と悩んだ結果、人物ベースの構成が書きやすかったので人物ごとに感想を書く。

まずは、光。

最初の紡とまなかのドラマチック?な出会いの瞬間を目撃した光。まなかのことが好きだった光は、まなかと紡の特別な出会い、そして恥ずかしくて見せられないと言っていた”魚面そ”(うろこ様の呪いで皮膚に現れた魚の顔)を紡には見せていたことなど、まなかが紡を好きなのではないかという想いが膨らみ、その結果まなかにきつく当たってしまう。

この辺は寝取られの感覚に近い気がした。実際に体験したことはないので単なるイメージだが。いつも自分の後をついてきていたまなかが、急に自分ではなく他の人と過ごすようになったら空虚感に襲われるのも無理はない。僕も見ていて辛かった。

それでもまなかの幸せを思って紡と結ばれるようにと一生懸命な様子で、それが11話の「ひぃくんはいつから男になったんだろう」というまなかのセリフに繋がったのではなかろうか。

あらすじにも書いたが、彼の行動力は凄まじくさすが主人公だと思った。やっぱりこう、苦しい状況でも諦めず熱い心を持って走り出せ、何が何でもやってやる的なハートが主人公っぽい。そして行動力の高さに比例して悩んで傷ついてるものだから、嫌でも成長速度が速い。

ううむ、、

行動力は大事だという結論になってしまった。ちょっと納得がいかないが、実際にそうであることは変わらないのでこの辺で光の話は終えよう。

 

まなか

彼女はおっとりしていて、どこか抜けていて、でもしっかり考えて悩んで過ごしている、憎めないキャラクターだ。

声優には全く詳しくないのだが、花澤香菜さんが声を当てている役だけはすぐ分かってしまう。。。この作品でもそうだった。

背後の声優が頭にちらつきキャラクターそのものに集中できない弊害もあるが、その分は声を当てる香菜さんの能力の高さで補えている気もする。

 

まなかの印象的な場面は探せば幾つでも見つかるが、その中でも一番はウミウシに語りかける場面だ。11話ではその内容は明らかにせず、いつ出てくるのかな、と思っていたら物語のトリにこのセリフを持ってきた。第一声は「ひぃくんが好き」だった。

25話にしてようやくまなかの声で光のことが好きだと聞くことができた。やっと、、、やっとその声を聞くことができたと感無量だった。その一言をどれだけ待ち望んだことか。

 

そんなまなかは途中で海神様から人を愛する心を失ったわけだが、その時の好きという気持ちがわからないという感情と、前半に言っていたこの気持ちが好きなのか分からないという感情の対比が面白いと思った。

どちらも好きという気持ちが分からないのは同じだが、それでも質的には違うものだ。前半には好きか分からないけど好きっぽい感情はあって、後半目覚めた時はその好きっぽい感情すら抱けなくなっていたということだろう。好きかもしれないと悩む機会、恋い焦がれるチャンスを失ったということもできそうだ。

 

何はともあれ、光とまなかが結ばれて一件落着。

 

僕がこの作品で一番報われて欲しいと思ったのがこの要だ。ちさきのことが好きで、でもちさきは光のことが好きで、後半は紡のことが好きになっている。思い切ってちさきに告白するも返事はいつまでももらえず、冬眠から覚めてそれとなく気持ちを伝えるもまだ返事はもらえず、、、なんと悲しいことよ。結局作中では最後まではっきりとした返事はなかったと思う。それにもかかわらず要は自分の気持ちを押し殺してちさきの幸せを願って、ついにはちさきと紡の中を取り持つ。

 

問題はちさきだ。なぜ断ってあげなかったのか。付き合うつもりもないのに、断りの返事も入れない。他人から急に告白されたなら分かるが、幼馴染であればその気持ちに応えてあげてほしかった。

光か紡か悩むのはもちろん良いが、せめて要の告白を断ることも忘れないでほしかった。

 

最後の方にさゆが要に想いを打ち明ける場面は心にぐさっと刺さった。それに応える要もかっこよかった。よかったね、要。

 

ちなみにこの作品で一番好きなペアは要とさゆだ。

 

ちさき

要のところで散々なことを書いてしまったが、ちさきが魅力的であることは何も変わらない。

 

海出身の生徒で冬眠をしなかったのは彼女だけであり、他3人と昔と同じように接していけるのか不安で仕方なかったに違いない。変わるのが不安だと行動できないでいた本人が、冬眠によって変わることを余儀なくされたのだから。

 

冬眠前、光に好きだと伝えた場面で好きと伝えられただけで満足だと語ったシーンがあったが、その気持ちはよく分かる。怖くて踏み出せない人間が一歩踏み出すにはそう思わざるを得ない。そこから次の一歩が踏み出せたらどんなにいいか。

 

全体的に映像は美しいのだが、ちさきは美しく描かれる場面が多かったように思う。

19話はちさきのコスプレ回と言ってもよい。

20話始め、ちさきのたおやかさを前面に押し出したシーンは見逃してはいけない。

 

彼は完璧な人間として描かれている。ただ優しいだけじゃなく、芯を持って生きている感じがそう感じさせたのだと思う。さらにクールな割にお茶目なこともできるのでどこにも隙がない。

周りにこんな男子がいたら女子はほっとかないだろうが、男子もほっとかないだろう(変な意味じゃなく)。紡一人いるだけで周りの士気がグッと上がる、そんな気がする。

 

恋心を描写した場面はごくわずか、多くは語らず。ちさきと一つ同じ屋根の下で想いを持ち続けているのに、ちさきの気持ちを推し量って自分の想いは胸にしまい5年間。よくそれだけ耐えたと思うが、最後はちさきと結ばれて幸せそう。

 

忘れてはならないが陸の人間のことを真っ先に受け入れたのが何を隠そう紡だ。分け隔てなく人と接する紡がいたからこそ、海出身の4人が陸の生活に馴染んだのだ。そんな彼の優しい心を見習いたい。

 

みうな

彼女だけが誰とも結ばれずにエンディングを迎えたが、大事な役割を見事全うしてくれた。

好きという感情とどう向き合ったら良いのか、その答えを作中ではっきり答えているのは他の誰でもない、みうなである。

「光に伝えたい。こんな風に私を思って泣いてくれる人を好きになってよかったって」というセリフが一つの答えだ。

ずっと光のことを思いながら、光が好きなまなかの体も心配しながら行動していた。それこそが光のみうなに対する想いを創ったのだ。

 

後半のメインヒロインでもあった彼女の印象に残ったシーンをいくつか挙げよう。

25話では光に「マナカのことが好きだと言って」とせがむ。それを受け止めよう、自らの心に鞭を打とうと初恋を諦める姿は涙なしでは見られない。

26話で光がみうなを思って回想するシーンも胸を打たれた。

 

さゆ

前半はガキンチョというイメージしか持たなかったが、後半ではなんと学年で一番成績優秀な生徒になっていて驚いた。要の冬眠で恋を諦めそのエネルギーを勉強に当てたわけだ。それだけ恋のエネルギーは偉大なのだと僕は受け取った。

 

思ったことをはっきり言う性格を通して改めて僕はそういう性格の人が好きかもしれないと気づいた。さゆはみうなほど登場する場面が多いわけではないが、だからこそ登場すると物語を一歩進める、展開する役割になっていたと思う。

要のところでも書いたが、24話で要に想いを打ち明けた場面が彼女が一番輝いた場面だった。踏切越しと言うシチュエーションもgoodだ。

 

その他

その他にしてしまうには大事な場面であるのだが、人物ベースで書いてしまったのでここに書くことにした。

 

この作品は今まで散々書いてきた通り恋模様を描いた作品であるが、映像的には涙に力を入れていたように思う。小学生並みの感想になってしまい恥ずかしいがとても綺麗だった。

涙も綺麗だったが、もっと広く水の描写は素人ながら特殊な気がして、この作品にかかわらず個人的には水の描写が好きである。モネの作品が好きなのも彼が水を描くことに力を入れていたからかもしれない。

 

美しい場面は他にもたくさんあるのだが、13話であかりさんがおふねひきに臨む際の服装がめちゃくちゃ綺麗で、一度見始めたからにはここまで見ないと見たとは言えない。いや、それは言い過ぎか。少なくとも見ないと損ではある。まだ見ていない人はぜひ見てほしい。夫の至さんの見れないという気持ちもよく分かるが見ないという選択をしてはいけない。死んでも死に切れない。

 

あと、他のことを書いていたので書けなかったのだが、どのキャラクターも可愛い場面がたくさんあって最高だった。

 

ありがとう、P.A.WORKSさん

そしてこれからもよろしくお願いします。

VTuberが役者のドラマ?アニメ?『四月一日さん家の』

はじめに

いきなり題の答えから入ろう。この作品はアニメかドラマか、、、

答えはドラマである。

四月一日さん家の』は2019年4月20日〜7月6日に放送されたテレビドラマである。(Wikipediaより)

www.tv-tokyo.co.jp

テレビ東京のサイトでもドラマと書いてあるので、アニメではなくドラマということのようだ。メタ的な話になるが、演者の動きをアバターに反映させている収録しているのでドラマということなのだろう。

実写のドラマとの違いは役者がVTuberであることだ。まだVTuberは広く知られた存在ではないかもしれないが、多くの人間がバーチャル世界にアバターを持つという世界はすぐそこまで来ていると思う。いわばアバター文化のパイオニアである彼女たちがドラマを演じるという挑戦的な作品なわけだ。気になった方はぜひご覧になってほしい。アマゾンプライム会員は無料で見れると思う。(2020年3月2日時点)

そして、第2期が決定しており2020年4月から放送開始予定とのこと。このタイミングで見ることができてよかった。(本当はリアルタイムで見ておけばよかったと思っている。。。)

感想

内容に関してはゆったりのんびりしたアットホームな”アニメ”だった。はじめにドラマであると言っておきながらややこしい話をしてしまうが、ドラマっぽさはあまりなくアニメと思って楽しんで視聴した。

これは個人的な解釈であるが、バーチャルネイティブかそうでないかの違いによるものだと思っている。生まれた時からバーチャルなアバターを目にしていてこれがドラマというものだと思いながら過ごしていればこれはドラマだと思うが、僕なんかは大人になってからこういうものを初めて見たのでアニメだという反応をしてしまうのかもしれない。

ただし、ぼくはVTuber文化に足を突っ込んでいる人間でもあるので、ときのそらちゃんがドラマで演じてる!というドラマっぽさも幾分感じ取れたものの、普段VTuberに親しみのない人からするとアニメとの違いは分からないだろう。

身もふたもない話をすると、アニメでもドラマでも見た人の感じ方次第でどちらと感じてもよいものであるし、これからこういうものが増えればバーチャルドラマみたいな感じで一つのジャンルができるんじゃないかな〜と思う。

 

この作品自体はすごく面白いとか、見ないと絶対に損するとかいうわけではないかもしれないが、VTuber業界に興味を持った人はもちろん今後エンタメ界隈の行く末を考えたい人も一度見てみるといいかもしれない。それではどんなところを見たらいいか。

個人的には技術的な課題に注目して視聴すると面白いと思う。僕も素人なので技術的なことに関して言えることはないが、服を着替えたりとか寝そべったりとか靴を履くとかそういうシーンは技術的にまだできていないと思う。しかし、ドラマというからには普通の人間にできることはできるようにしたいと思うのが普通だろう。また、撮影を行う場所もリビング、台所、玄関だけで外に出かける描写は一つもなかったように思う。将来的には家から出て様々な場所に出かけるドラマが作られるとは思うが、現時点ではかなりきつい制限がかかっていると思ってよいだろう。もしできることが増えればバーチャル世界におけるエンタメのテーマも広がっていき今よりもっと面白いものができると思う。

バーチャルなアバターにできる動作がどのように進化していくかをリアルタイムで見ていくことができる時代に生きていると思うので、その出発点としてこの作品を見ておくのもよいかもしれない。(本当の出発点はおそらくもっと前だが、、、)

余談

普段からVTuberに親しんでいたはずなのだが、なぜか今頃になって見てしまった。ただ偶然にも4月から2期が放送されるらしいのでタイミング的には良かった。1期からどのくらいできることが増えているのか楽しみだな。

ちなみにVTuberが出演している『バーチャルさんはみている』という作品も2019年の冬アニメの一つとして放送されていたが、そちらよりはこちらの方が面白かった。あちらの作品はヒメヒナのEDだけが良かった印象で、本編は内輪ノリと自虐ネタで構成されていた。そのせいでターゲットがVTuberのコアなファンだったように感じたが、それならわざわざテレビでやる必要もない気もする。制作側はもちろん何か明確な意図があってテレビ放送をしたのであろうが、、、

他に新しくVTuberが演じるドラマとか企画されていないかなー。

 

あっ、そういえば東雲めぐちゃんがVRミュージカルをするそうです!題目は『人魚姫』で、4月から7月まで月1ペースで全4回開催するそうです!

僕はまだ見るか決めていないですが、新しい試みとして注目はしていきます。そもそもVR機器を持っていない...(涙)

リンクも貼っておくのでちらっと見てみてください。

shinonomemegu.com