【読書日記】「かがみの孤城」
読書マラソン用の感想(仮)
通常の感想
- 最初に行動を起こす勇気
- 周りの笑いが自分を笑っているように感じる
- 暗黙のルール
- 友達を思うということ
【読書マラソン用】
鏡の向こう側に別の世界が広がっている。
そんなことは決して無いけれど、そんな世界があったらいいのに、と思ってしまう自分がいる。
しかし、僕は考える。
本の中の人物が鏡の向こうの世界へ行ってしまうように
僕もまた、この本を読んでいる間だけは、まるで本の中に吸い込まれ、本の中の世界で過ごしているのかもしれないと。
願いを叶えた後、鏡の中で出会った人物との記憶がなくなってしまうように
僕もまた、この本の内容は時とともに忘れてしまうかもしれない。
それでも、鏡の世界で出会った仲間が現実の世界で繋がっていたように
僕もまた、読後のこの気持ちといずれ邂逅する時が来ることを切に願う。
【通常の感想】
さて、本の大まかな内容は以下の通りです。
いじめや親の放任などの問題を抱えて学校に馴染めない子がいるということは詳しいことはともかく、その事実くらいは皆さんご承知のはずです。そんな子が主人公の物語です。
学校に行けず、家の中で過ごしていたら、鏡が光っていることに気づきます。それに触れたら、あろうことか鏡の向こう側の世界へ繋がったではありませんか!どうやら、そこに自分も含め、7人ほど集められたようです。みんな学校へ通えない子たちのようです。その世界で彼らは”願いの鍵”を探すことになります。それを見つけたら願いが一つ叶うらしいのです。そうして学校に通えていない7人の奇妙だが素敵な交流が始まります。
彼ら彼女らにはどんな過去があり、それにどう向き合って生きていくのでしょうか。
何を書いたらいいのか分からないくらい書きたいことがあるのですが、それではまとまらないので、印象に残った文章や共感した部分をいくつか取り上げたいと思います。
その前に、一言だけ書くと、構成の仕方がとびきりうまい方だなと素人ながら感じました。最後にバラバラだった一つひとつの事柄が線で結ばれ繋がっていく様子は圧巻でした!何度か読むともっと楽しく読める本だと思います。
1. 最初に行動を起こす勇気
「一度行ってしまえば、何を気負っていたのだろうと思うほど、他の子たちに会うのにも抵抗がなくなっていった」
この文は僕がこの本の中で印象に残った一文なのですが、この気持ちにすごい共感しました。まさしくその通りなんだよなぁ、と。
僕は学校には通っていたものの、友達の少ない生徒でした。友達のできない理由が上の引用文に詰まっていて、自分から何も行動を起こさなかったので、そりゃあ友達できないでしょ、と言われて当然なのです。僕の場合は、
一度声をかけてしまえば
何を気負っていたのだろうと思うほど
他の子たちと話すのにも抵抗がなくなっていった。
というわけです。
中学校、高校生活ができないという意味ではもう遅いのですが、せめてこれからの人生ではこういうことがないように少し勇気を持って声をかけてみようと思っているところです。
2. 周りの笑いが自分を笑っているように感じる
学校で、それ以外の場所でも、誰かとすれ違う時にその人たちが声をあげて笑いながら会話をしていると、自分が笑われたような気がするという場面があります。
よくわかります。一方で、そんなわけないとも思いつつ、それでも頭をよぎってしまうこの感覚。
今でこそなくなってきましたが、学校にいた時は、僕もそう感じてしまうことがありました。周りからどう思われているのだろう、と気にしすぎているとこう思えてくるのだと思います。周りに敏感であることは悪いことではないのですが、その方向性が少し変わると
周りに敏感であることが武器になる
と今では思っています。僕の場合は、武器になるように修行中、といったところでしょうか。
3. 暗黙のルール
これも周りの様子を伺っている自分が勝手に作り上げているのかもしれません。こういう流れができているから、この話はしてはいけないのかな、と思っていると誰かがその話を投げかける。
本書でも
「あれっ、その話触れちゃいけないんじゃなかったの?!」
と主人公が混乱している場面があります。でもそれって、自分が勝手に作り上げた空想のルールでしかないんだな、と気づかされました。この暗黙のルール、今まで意識的に考えたことはありませんでしたが、知らず知らずのうちに僕自身束縛されていたのかもしれません。これに気づくことができただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。もちろん、楽しむということも忘れずに。
きっと、本当に暗黙の了解で決まっていることもあります。だからこそ難しくて、
暗黙のルールと
自分が勝手に作り上げた存在しないはずのルール
この違いを見つけながら成長していく
と、大人になれるのでしょうか。
4. 友達を思うということ
4つめは、学校に通えない主人公を助けたいと思っている人物の存在について考えたことです。
友達を思うといっても、今回は、友達が苦しんでいるときに、どうやったら助けてあげられるのかというところに焦点を当てているつもりです。
僕は、ここにものすごい後悔があるのです。中学校の時は、なんでも自分優先で考えていました。当時はそんなつもりはありませんでしたが、今思えば周りのことなんて全然考えてなかったんだなと思わずにはいられません。
一言で言えば、偽善者でした。
多少勉強はできたつもりでいましたが、実際そんなのはどうでもよくて、友達が困っているときに助けてあげられることの方がずっと大切なことだと、今は思っています。
例えばいじめられている人を助けようとすると自分までもいじめられるのではないか、という不安があるのは当然で、それで助けることができないこともあるでしょう。そこで、それでも助けるという人がいたらそれは勇気のある人だと思います。誰でもできることではありません。そんなことできないという当時の僕のような人は、助けるというとどんなイメージが浮かぶでしょうか。
きっと助ける方法が思うように見つからないのではないでしょうか?先生に相談しようかどうかまず考えますね。でもそれだけでもないのかもしれません。
助ける方法はきっと、一つだけではありません。本当に助けたいと思ったらいくつも方法があると思うのです。特に、現代ではコンピュータが発達しています。友達を助ける方法を調べれば、いろんな情報が出てきます。相談センターの連絡先だってわかります。もしくは、信ぴょう性は定かでない場合もあるでしょうが、体験談だって載っているかもしれません。
調べようと思えるだけで、友達を助ける一歩を踏み出しています。そこで得た情報を見極めて、正しいと思う情報に従って行動することも選択肢の一つかなと思います。ただし、ネットの情報が正しいかどうかは十分気をつけなければいけないということは頭に入れておきべきでしょう。友達を助けたいけどどうしていいかわからないという人を狙って、そういう人が惹きつけられそうな情報を書いておき騙して何かする、と企んでいる人もいるかもしれませんので。
学校の先生に相談したいけど、信頼できる人がいないという状況もないわけではありません。いじめやそういうものをなくしたいと思って先生になる人もいると思うのです。真剣に考えてくれる思いますが、その対処の仕方がまずいこともあるかもしれません。ニュースなんかをみると、どうも学校は隠蔽体質があるようですし、大騒ぎにしたくないということに主眼をおいていることもあるようです。本来大切にすべきはいじめられている人が苦しみから解放されることのはずなのに。
調べればいいのはわかったけど、調べようと思うにはどうしたらいいのでしょうか?
そう思う人も多いと思います。
これは本質的な話になると思うんですが、僕は知識を頭に入れることが大事だと思っています。こういう時にどうしたら良いのか、という状況で考えられるのは自分の知識の範囲内でしか考えられません。
階層的な構造で表すと、
- まず、知識を入れておくこと
- 知識がなかったら調べて知識を増やす、という知識があること
これが大事なわけです。自然に思いつく人もいるかもしれませんが、その人はそれが自然のうちに身についたからそうできるということだと思います。それが身についていない人にとってみれば、自分とは違うそういう発想の持ち主なんだなと思うかもしれませんが、知識の積み重ねが行動に繋がっていくと僕は信じています。行動を起こすには知識だけではなくて別の事柄も必要かもしれませんが、知識も必要だということが言いたかったことです。
今日はこのへんで。この本に出会えてよかったです。こういう本との出会いが僕の人生を豊かにしてくれているなぁと思います。